言わせてもらえば
圓生はカラヤンである。


文庫本になった「圓生の禄音室」を読んで、三遊亭圓生が聞きたくなった。

圓生はとくに好きな噺家というわけではない。正直言うとあまり得意でないのだが、レコードやCDはかなり持っている。それは圓生は録音も多くそのうえ持ちネタが多いためだ。聞いたことのない噺にはつい手が出るもので文楽や志ん生を買うついでに圓生も買ってしまうのだが、そうしてついでに買った圓生がもうずいぶんになっている。

圓生の録音室はSME(当時はエピックソニー)で圓生百席を企画したプロデューサ、京須偕充氏が書いた内輪話だ。これを読むまで圓生百席はひとつも持っていなかったのだが、興味を引かれて数枚買ってみた。寄席落語とかホール落語とかいろんな形態があるが、圓生百席はスタジオ落語である。 というのは単に客がいなくてマイクに向かって演じているだけではない。それならラジオの録音だって似たようなものだ。そうではなくて、はじめから編集を前提として企画されている全集だからである。

この本によれば、直したのは言い間違いや「つっかえ」だけではない。話の「間」まで詰める作業をしたという。テープは1秒に38cm流れるから1センチの間が0.026秒ということになる。人の手はその10分の1くらいの精度は軽く出せる。こうして微妙な「間の調整」ができたというのだ。

圓生本人がそうして仕上がった録音を聞いて「テープのほうが あたしより上手くなりました」と言ったそうだ。これは聞かねばなるまい。

さてその結果は、である。

ここに3枚のCDがある。圓生が同じ噺をほぼ同じ時期に演じたものだ。噺は「庖丁」。
74年6月3日  談志ひとり会67回 紀伊國屋ホール
75年6月1日  圓生百席 スタジオ録音
75年10月31日 東横劇場

談志ひとり会に圓生が出ているのには訳がある。談志は自分でこの噺を演る予定だったのだが会が近づいてみると「できなかった」ので、代演に圓生を担ぎ出したのである。これは噺家談志としては不名誉なことだがプロデューサとしては自慢だったらしく、「このあたり談志はすごいだろう」と自画自賛している。

この3つの録音のなかで、私の好みとしては東横劇場が好きだ。どこが違うのか。マクラはともかくとしてこの噺は圓生の手の中にあって、ほとんど動かない。速記を取れば同じものができあがるくらいのものだ。違いはタイミングとテンポ、どこを詰めてどこをゆっくりやるか。どこを張上げてどこを押さえるか。微妙な声のニュアンスの出し入れである。これだけ完成した噺でも、気と間は一回づつ異なるのである。ひとり会では談志の演出のせいか客席もざわざわしていて、そのなかでやや「あおられた」ように語り始めてしまうが、東横劇場はまさに絶好調で、言葉が次から次へひとりでに出てくるような好演と感じる。

では、問題の圓生百席の録音は。

もちろん優れているのだが、それは「資料として優れている」という感じがしてならないのである。これが圓生の考える「完璧」なのだろうか。これを聞いていると、なんだか「教わっている」という感じさえしてくる。「残す」という意識が「話す」という意識を上回っているようだ。

ひとつには残響の問題がある。切り貼りを前提としているのなら、もっともっとデッドな(残響のない)スタジオを選ぶべきではなかったか。ときとして残響が途中ですぱっと切り落とされた不自然な響きとなっていて、興が醒める。京須氏の記述にも「若いときはこんなに声を張り上げる人ではなかった」とあるから、なんらかの計算違いもあったのかもしれない。

この圓生を聴くとカラヤンを思い出す。オーケストラの音を音符単位で差し換えることはよく話題になって、ひとによっては嫌う人もいたものだ。しかし結果としてカラヤンは商業的に成功した。その商業的な知名度と興行価値が彼の指揮者や音楽監督としての地位に貢献したことも事実だろう。

録音物では録音として最高のものを目指す。そのためには通常の上演とは違う方法やテクニックを使う。それは理屈としては正しい。しかし圓生ほどの技巧が高い演者にしても、切り貼りをすると不自然さが残ってしまった。落語という芸が同じことを繰り返し話しているように見えて、演じるごとに噺の「場」を作り上げているのだということを、あらためて思い知らされる。

圓生百席には別な意味で不思議な情熱が感じられる。それは、言葉は変だが「冷たい情熱」だ。圓生が求めた「完璧な芸を残す」という情念が感じられるのである。楽しいCDというより重いCDであった。


付記:細かなことだが、庖丁のサゲは74年の録音では「横丁の魚屋に返しに行くんだ」75年のふたつでは「魚屋に返しに行くんだ」となっている。この本によると圓生百席のスタジオでここを言いよどんで横丁をはぶいたというから、これをきっかけにサゲから横丁がなくなったのかもしれない。





c 1999 Keiichiro Fujiura

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黄年の主張
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