言わせてもらえば
若大将の肉マンはどこから来たのか

しょうもないこと、を書こうと思う。

前頁に書いたように、正月に兵隊やくざを見ていたのだが、舞台は満州だ。満州気分に浸っていたら、頭のなかで、思いがけないものがつながった気がした。

別に、つながったからといってナンということはないのだけど、誰かに自分の発見を話したくなった。そういうことを書こうと思う。

話は飛ぶ。別の映画の話だ。

頭のなかでつながることだから話は唐突で申し訳ないが、兵隊やくざとは別の意味で私たちの世代にとっては重要な映画に、加山雄三の「若大将シリーズ」がある。そのなかに以前から不思議に思っていた場面があった。

加山扮する田沼雄一が大学から帰ってくるとお祖母ちゃんの飯田蝶子が「お腹がすいただろう、茶箪笥に肉マンがあるからお食べ」と言うところだ。

加山雄三と肉マンは似合う。が、茶箪笥に肉マンは似合わない。普通入っていないだろう。これが大福とか羊羹なら、麻布のすき焼き屋田能久(この家の商売)にあって不思議はないのだが、なんで肉マンがここにあるのかなァ、と。いや、ホントにまったくたいした問題ではないのだけど、前からずーっと、なンとなく腑に落ちないでいたのだ。

それを、あァ、なるほど、そういうことなのかもしれない、と、ちょっと納得できる答えが見つかったような気がした。それが、兵隊やくざDVD4本を見た今年の休みの間に起こったことである。

この肉マンはどこから来たのだろう。横浜じゃあないから近くに中華街もない。いまと違うからコンビニで肉マンをふかして売っている時代でもない。これはこの家で作ったものに違いない。田能久はすき焼き屋だから、肉もネギもいくらでもあるだろう。しかし、なぜすき焼き屋で肉マンを作るのか。

「戦争で覚えてきたんだな」、と思ったのである。

雄一はエレキ世代。雄一の父は当然兵隊に行っているだろう。北支か南支か知れないが、食い物屋の若主人が中国へ行って地元の食い物に興味を持たないはずはない。料理の腕もあっただろうし、そこで覚えたという想像に無理はないだろう。ひょっとしたら、田能久自体、中国で店を出していたかもしれないくらいだ。

もちろん机上の想像だから、なんの根拠もない。でも、有島一郎の顔がどことなく有田上等兵に見えてきて、満州の兵舎の厨房で肉マンの作り方を覚える姿なんかも浮かんできて、「きっとそうなんだろうな」と一人で確信したのであった。

(撮影裏話では、「若大将」の設定には加山雄三への取材がかなり反映されていて、「おばあちゃん子であったこと」などがそのまま採用されたという。単純に「好物は肉マン」という取材を場面に取り入れただけ、という考え方はもちろんできるだろう。でもまあ、それが正しいのかしれんけれども、「父久太郎にも青春があって、それが賄食の肉マンという形で田能久に伝わった」と想うことも、それはそれでまた愉しいのであります。)


(2007年01月03日)







c 1999 Keiichiro Fujiura

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