Chiang Rai
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小さな田舎のバス停で乗り換えのバスを待つ。
乾いた日射しの中でソンクラーンについて考える。

乗り換えのバス停はほんとうに小さいものだった。まわりに何もない。今日は「歩 いても歩いても何もない」というのを、一日だけで何度か経験した。

「こんな右も左もわからないところによく来るもんだ」と我ながら思うが、まあな んとかなるだろう。バス停がある以上、バスは来る。

ちょっと離れたところに万屋(よろずや)があったので、時間を確認しながらそこ へ行き、かき氷を食べる。乾季の名残のやたらと暑い午後が始まっていた。


樹下の釈迦像
ソンクラーン(タイ正月)はなにやら難しい占星術で日が決まると外国人向きの案 内に書いてあった。最終的にはそうやって決めるとしても、なんで4月中旬に正月があるのだろう。

はじめは釈迦の誕生日がこの頃だから関係あるのかとも思ったが、実際に街角を歩いてみ るとあまり宗教的な様子はない。こうやってカラカラ日照りの中に立っている私の 感覚としては、この季節に乾季の終わりを喜ぶもののように感じられた。

乾季には命のために大切な水を節約しなければならない。初めての雨が降ってもう 乾季が終わると知ったとき、これまで大事に取っておいた水をそれこそ湯水のよう に使うのがソンクラーンの起こりなんじゃないだろうか。

日本の花祭りでお釈迦さまに甘茶をかけるのも、その「水掛け」の穏やかな様式の ような気がする。

こういった宗教行事については研究者も多く、私がわずかな体験でこういうことを 言ってはおこがましいし、大間違いなのかもしれない。ただ、チェンセン行きのバ スをかんかん照りのバス停で待ちながら、私がそういうことを考えていたというだ けのことである。


チェンセン行きのバス ようやくチェンセン行きのバスがやってきた。メーサイ行きと同じようなエアコン なしバスだ。とはいえ日陰ではあるし、風も入る。日なたで待っていた身にとって はこのわずかな涼しさでもありがたい。


バスは案外混んでいて、チェンセンまではずっと立って行った。


バスの乗客

子供達が道で待っていて、ときおりバスに水をかけてくる。開いた窓からしぶきが 入り込むこともあるが、暑い日だから気持ちいいくらいだ。綺麗な服を着た女性な どはさすがにすぐ窓を閉めている。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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