Solo
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一行とともにふたたびソロへ。
それにしてもジョグジャカルタ大学は平穏そのもの。

翌朝はソロへ向かう日だ。荷物をまとめてPurusaniホテルに行くと、「これからガジャ・マダ大学へ行こう」という話になった。その日の朝のNHK衛星放送のニュースで「ジョグジャカルタの学生たちが暴動を起こしている」という報道があったらしい。

(この旅は1998年3月なので、まだスハルト政権なのである。政権末期で、しかもルピアが暴落しているので各地で暴動が蜂起していた。)

撮影車のバンに乗っていくわけだから危険はないだろう。「行こう行こう」と盛り上がる。ダイトウさんは早くもカメラを手に持っている。なにか劇的な絵が撮れるかもしれない。

ところが。

大学はえらい静かなのであった。なんの変哲もない。クルマを降りて歩いてみたが、デモ隊の姿も政府軍の姿もない。拍子抜けだ。NHKのニュースはなんだったのだろう。

「もういいよ、行こう」とソロに向かう。


数日前にコルトに乗って来た街道を逆に行く。今度はアヒルに道をふさがれることもなかった。

しかしこのクルマが異常に遅くて、朝ジョグジャカルタを出たのに到着はほとんど昼。皆はNOVOTELLに泊まるのだが、私はこの間と同じDANAホテルに泊まることにする。この2つのホテルはごく近い。徒歩一分くらいだ。

顔なじみのフロントに「また来たよ」と言ったら「43号室ね」と、このあいだと同じ部屋の鍵をよこした。

道端に停めてあるベチャ 「昼飯を食おう。ソロは何日かいたんだろうどこかいい店を知らないか」というので、WINACAFEに行ってみたが、あいにく休み。しょうがないので近くのホテルのレストランに行った。肉はぱさぱさだし、醤油もない。

案外こういうことで疲れてくるものだ。
この数日早起きが続いているので、みんな口数が少ない。

「カット数が足りない」
ダイトウさんはいくらか焦りはじめている。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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