言わせてもらえば
騙される愉しみ。

犯罪の中では「詐欺」が好きだ。

もちろん自分でやるほどの度胸はないが、実際の事件でも詐欺についてはかなり真剣に記事を読むし、詐欺の映画には目がない。

詐欺という犯罪の特徴は「被害者が自分で財布を開く」ということにある。なぜ自分から金を出そうとするかというと、それは被害者に欲があるからであり、多くの場合「非合法な大儲け」に投資した形になっているので被害を警察に届けにくい。

映画「スティング」に使われたのは「WIRE」という手口だが、この場合「電信オペレータを買収して、事前に情報を得る」という裏話に被害者は賭けることになっている。それに加えて、騙されたと怒る「客」をなだめ、怒りのターゲットをそらし黙らせるためのテクニックも開発された。

これほど大掛かりなものでなくとも、アジアへ行くと軽い詐欺に会うことが多い。

「日本語を教えてくれ」とか「日本に行く娘がいる」などといって見知らぬ人が近づいてきたら、おおかた詐欺だと思って間違いない。

タイで水上バスを待っていたら、二人の若者がそのようにして近づいてきた。怪しいと知りながら面白いので付いていった。

水上バスはやめてチャオプラヤ川の向こうまで水上タクシー(小舟)で行き、地元の人ばかりの寺院をいくつも訪れた。「今日は祭りだから」という触込みだったので行ったのだが、ホントに祭りだったのである。

それから半日あまりも観光させてくれ、最後は水辺の涼しい酒場でビールをおごってくれ、唄まで唄ってくれた。

さて、そこへ「偶然」通りかかった水上タクシーをつかまえてホテルに帰ろうとすると、はたしてこの小舟が川の真中で止まり、「もっと金を出さないと舟を動かさない」と言い出した。

雲助のような古い手である。若者二人はここで船頭のほうに回り「出したほうがいいですよ」といいはじめる。

そこでなにがしかの金を渡すと彼らは商売になったので舟を岸に着ける、という、まァこういう寸法だ。

私はこのときはあんまり腹も立たなかった。三人がかりで半日、けっこう手間のかかる手口だ。珍しい場所も見ることができたし、その手間賃に免じて「ヘンなガイドを頼んだ」と思えば済む程度の出費であった。甘チャンな話だが、どっちかというと「なるほどねえ」という感じであった。

この例は自分から財布を開いたのではないから詐欺ではないと言う人もあるかもしれないが、「地元の人にタダで案内してもらえそうだ」という欲があるから付いて行くのであって、相手の欲を逆手に取って金を得るという点では立派な詐欺だ。詐欺については「欲のない人は騙せない」という名言がある。

「好奇心は猫をも殺す」というから、いつか大怪我をするのかも知れない。しかしこういう詐欺は手品と同じでやられてみないとタネがわからない。「騙される愉しみ」というものもあるンである。





(2001年9月5日)





c 1999 Keiichiro Fujiura

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