言わせてもらえば
忠臣蔵は不思議な話だ。

子供の頃は、忠臣蔵の映画は毎年作られるものだと思っていた。

というのは近所の映画館に毎年冬になると忠臣蔵がかかっていたので、東宝のゴジラやクレージー映画のように、忠臣蔵も毎年一本づつ作られているのだと思っていたのである。

少し大きくなってから、そうではなくて、忠臣蔵の映画というのは各社が5周年とか10周年とか記念の年に、かなりのエネルギーをかけて作るものだと知った。

田舎の映画館で、いろんな映画会社の作品を混ぜて(ちょうど田舎のテレビ局がTBSの番組も日テレの番組もオンエアしていたように)かかっていたので、毎年のようにその映画館では「忠臣蔵の新作」が上映されていたのであった。

忠臣蔵は登場人物も多く、また当時の日本人はこの物語の隅々の人物像までいまよりはずいぶん知っていたので、端役のようで結構重要という役も少なくなく、必然的にオールスター映画になる。

おそらく端役の場合、他の映画を作りながら、途中で「今日は忠臣蔵の撮影」という日があったのだろうと想像される。顔を立てたり、撮影の隙を見つけたり、キャスティングと進行は相当に大変だっただろう。

しかしその結果として、どの忠臣蔵映画も各映画会社のその時点でのスター名鑑のようなものになって、いま懐かしがって見るうえでは非常に便利なものになった。なにしろシーンごとに、それこそ「綺羅星の如く」スターが登場するのである。

さて各社の忠臣蔵映画がどういうものであるかについては稿を改めることにして、この頁では忠臣蔵というドラマそのものについて語ってみたいと思う。

古来この話については、「浅野内匠頭はなぜ吉良上野介を斬ったか」という根本の疑問から始まって、義士列伝、不義士列伝、裏話、女性の視点、吉良側の視点から見た物語、パロディまで、たくさんの本が出ていて、ひとつの話をテーマにしてこれだけの本が出版されていること自体が不思議なくらいだ。

なんで私たちはこれほどに、この話が好きなんだろう?

日本の芝居の二本柱は曽我兄弟と忠臣蔵、であると言われる。両方とも敵討ちの話だ。曽我兄弟はいまのニッポンではあまり流行しているとはいいにくい。忠臣蔵も、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」でこの話を認識している人は以前よりは少なくなっているだろう。

しかし、その人にとっての忠臣蔵が仮名手本であろうと、数々の小説のひとつであろうと、NHKの大河ドラマであろうと、それは枝葉末節の違いでしかない。忠臣蔵という大木がそれだけ多種多様な枝葉を抱え込むだけの大器である、といっていいかもしれない。

そのような大器を私ごときの主観で計ることはそれこそ蟷螂(かまきり)が国王の馬車に向かうような無謀であるが、そこは黄年の勝手な主張である。見過ごしていただこう。

私にとって忠臣蔵が現代にも通用する最大の点は、これが「『評判』についてのドラマ」であるということだ。一方では「世間の評判の軽薄さ冷酷さ」を語りながらもそれを非常に重視して、「俺に関する噂」を無視しては生きていけない人間を描いている点で、この話は非常に現代的でもある、と思う。

討ち入りの前と後で、コロリと変わる人々の態度。討ち入りに参加しなかった、冷静な「不義士」たちへの世間の「制裁」は何の理由もなく、集団心理によるイジメのようなものだが、それを人が集まった社会には避けられないものとし、それにどう巻き込まれるかが人の運不運、幸不幸であるという視線が、このドラマにはある。

そういう点を顕わに描いているのは小説、例えば大佛次郎の「赤穂浪士」のような大衆文学において明瞭だが、それは最近の解釈ではなく(この小説にしても昭和2年の発表であり、決して「最近」のものではない)、もともとの事件の推移そのものから「世上の評判」というものを非常に重視していると私は思う。

自分、というものを律するのに、自分だけでは決めることができず、他人の眼に映る自分の姿を見なければ自分の行動規範を決めることができない、ということを語るのにかなりのウェイトが置かれている。その点に、私はこのドラマの現代性を見るのである。

もう一点は、このドラマが「待ち」「我慢」のドラマであるということだ。もちろん、多くの仇討物語がそうであるように、あるいは「ポパイ」のドラマ構造がそうであるように、我慢して我慢して、そして反発し相手を倒すところにカタストロフィや快感がある、その点は、少なからず忠臣蔵にもあるのだけれど、それとは別の我慢で、もし大石内蔵助を良しとするならば、「男の意地」とか「騎虎の勢い」とか「男子の面目」といったたぐいの男らしさ、はより大きな戦略の前では価値の薄いものとせねばならない。忠臣蔵がそういう種類の我慢のドラマである、ということが私を注目させる。

おおよそ日本の男らしさというものはひどく短気なものとして描かれるのが常であって、それを多くの男たちが好んだから「問答無用」「撃ちてし止まぬ」「進め一億火の玉魂」ということになるのであるが、忠臣蔵はそれらとはまったく正反対の価値観を持つドラマなのである。

その場の快感に身をゆだねる短気な武士道に価値はなく、大義というものは、そのような意味での「男らしい」ものではないのだ、というのが内蔵助の主張である。この点に共感して「忠臣蔵が好きだ」と言っている人がどのくらいあるかは知らぬ。しかしもしそういう人が多ければ太平洋戦争があのように短気なものにならずに済んだようにも思う。忠臣蔵のこの点はあまり意識されてこなかったのではないだろうか?しかし私にはとても重要な事柄のように思える。

内蔵助という存在は非常にわかりにくい性格を持っている。それは「現実というものはそうわかりやすく割り切れるものではない」「白か黒かというものではない」灰色だってひとつの色ではないたくさんあるといっているようだ。
放蕩しているのは本気か敵を騙す狂言か。どちらでもなくどちらでもある。決め付けるようなものではない。わかりやすさを拒否している。

これほどわかりにくい、むしろわかられることを拒否している主人公を持つドラマが、これほどに愛され続けている。まことに不思議な話である、としかいいようがない。



(2007年06月18日)







c 1999 Keiichiro Fujiura

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