言わせてもらえば
忠臣蔵を比べて見た。

忠臣蔵の映画がもっとも盛んに作られたのは昭和30年代のこと。このころが日本映画の最盛期ということになるのだろう。
それ以前のものでは、マキノ正博の「忠臣蔵 天の巻・地の巻」(昭和13年日活)はレーザーディスクで見た。その作品では内蔵助が阪東妻三郎で内匠頭が片岡千恵蔵。千恵蔵もまだ若殿の似合う年格好だったわけだ。もっと前の、マキノ省三のものとか目玉の松ちゃん尾上松之助が内蔵助をやった日活の「忠臣蔵」(大正15年)なども見たいものだと思ってるが、まだ見る機会を作れずにいる。

もともとそう熱心に映画の上映を追いかけるほうではない。マニアの方に比べればごく浅い知識と理解で語っているわけで、この点もいつもながら大目に見ていただきたく、あらかじめお願いしておきます。

昭和30年代の忠臣蔵は知っている顔も多く、酒でも飲みながら「懐かしいなあ」「あ、この役者さん、なんて名前だっけ」などと言いながら見ることもできる。
忠臣蔵の映画を見て最初に気づくことは、恐ろしく「省略」を要求される題材ということだ。話は長いし、登場人物も多く、「あの場面だけは」と捨てられないエピソードも多い。それを2時間や3時間にまとめるわけだから、ばさばさハサミを入れなければならないが、それでいてゆったりとした気分は残さなければならない。なかなか技を要求される物語だ。

それら30年代の忠臣蔵から、各社一本づつを撰んでみよう。正統派で、有名な場面はすべて抑え、かつ、美術が豪勢なのが大映の「忠臣蔵」(昭和33年 渡辺邦男監督)である。大石内蔵助が長谷川一夫、浅野内匠頭が市川雷蔵、吉良上野介が滝沢修、と重鎮で固めて、そこへ赤垣源蔵(勝新太郎)、大石主税(川口浩)、岡野金右衛門(鶴田浩二)と若手を配する。女優も山本富士子(瑶泉院)、淡島千影(大石りく)、中村玉緒(浅野家腰元みどり)、若尾文子(大工の娘お鈴)、京マチ子(女間者おるい)と絢爛である。話の進め方はスタンダードな忠臣蔵といっていいだろう。鶴田浩二の岡野金右衛門と若尾文子のお鈴のロマンスも、この渡辺忠臣蔵では他の部分がシンプルなだけに印象に残る。列伝ではこの岡野金右衛門と、赤垣源蔵の兄の留守宅での衣紋を相手にしての酒の場面にハイライトを当てている。

この大映忠臣蔵は美術が素晴しく、ちまちませずにぱーっと「引き(ロング)」で見せる。引きで見せるということは見渡すかぎり美術が行き届いているということで、渡辺天皇と呼ばれた渡辺邦男監督の力量(この場合は政治力といってもいいかもしれない)が堪能できる。いまの日本の風景と予算では時代劇は「寄り(アップ)」で撮らざるをえず、どうしてもちまちました息苦しい絵になりがちなのだが、こうした広々とした贅沢なシーンを見せられると「いい時代だったなァ」と思わずにはいられないし、日本映画にもこれだけの美術費を許す度量があったのだなと、少しうれしくなる。

渡辺邦男が「天皇」と呼ばれるまでになったのはとにかく「早撮り」だったからだ。そのため制作費は安く興行収益率はよく、会社は渡辺を大事にした、といわれるが、この忠臣蔵も30余日で撮ったと言われている。画面からは信じられないような快速だ。
ちなみに渡辺監督はそのキャリアの最終期にテレビ界に転じ、「柔」などを撮ったが幸福でない晩年を送ったといわれる。それはそうだろう。当時のテレビ界、たとえば野坂昭如とか五木寛之と「天皇」とがうまくいくわけがない。誰かに担がれたのかもしれないが、渡辺天皇のために惻隠の情を持つものである。

東映からは昭和31年の「赤穂浪士 天の巻 地の巻(松田定次監督)」を挙げたいと思う。東映創立5周年記念作品だ。内蔵助に市川右太衛門、内匠頭に東千代之介、吉良上野介が月形龍之介。堀田隼人が大友柳太朗、蜘蛛の陣十郎が進藤栄太郎、お仙が高千穂ひづる、千坂兵部に小杉勇、脇坂淡路守に竜崎一郎。他は、中村錦之助の小山田庄左衛門、杉狂児の松原多仲といった配役。時代劇の大物は余るほど抱えているが、若手の華やかさは東千代之介と中村錦之助に頼っている、当時の東映のキャスティングだ。
東映には大石内蔵助を演ずるべき大物時代劇俳優がもう一人いて、その扱いに困った。それは片岡千恵蔵である。「この」赤穂浪士では、片岡千恵蔵は内蔵助が江戸に下るとき名を騙る「立花右近」役として別格の扱いで登場し、時間は短いが、十分な腹芸と貫禄を見せる。
その代わり、ということだろうか、東映が昭和34年に作った「忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻」では片岡千恵蔵の大石内蔵助に対し市川右太衛門は赤穂城開城に来る脇坂淡路守という役回りになっており、また同じ松田定次監督で昭和36年に作った「赤穂浪士」では内蔵助=片岡千恵蔵、千坂兵部=市川右太衛門で知恵を競う構図となっている(こっちのほうが適役、という声も多い)。

ちなみに東映は昭和30年代だけでも31年「赤穂浪士 天の巻 地の巻」 32年「赤穂義士」34年「忠臣蔵 櫻花の巻 菊花の巻」36年「赤穂浪士 前編 後編」と量産しており、私の持っていた「忠臣蔵の映画は毎年作られる」というイメージはこれによるものも大きかったようだ。
同じようなスタッフ、キャストでこれだけ作れば後年は手慣れたものになっただろうが、この昭和31年の「赤穂浪士」の時点では、宣伝資料に「巨額の制作費」とともに「製作に一年をかけた」と謳っている。まだ作るのに慣れていなかったのか、本格的な忠臣蔵を作ったのはこれが初めてで(東映には昭和27年の「赤穂城」「続赤穂城」、昭和28年の「女間者秘聞 赤穂浪士」があるがどれも大作ではない。すべて千恵蔵が内匠頭と内蔵助の二役を演じている)、それだけの手間と時間をかける必要があったのだろう。

この、一年かかったという東映作に対し一ヶ月で撮ったという大映作が見て遜色がなく、絢爛さでは大映のほうが上のようにさえ感じられるのはどういうことだろう。創立五年の東映はまだまだ地力が弱かったのだろうか。渡辺「天皇」など、さぞ意気軒昂だったことだろうと推察されて、なんとなくおかしさを感じる。

「赤穂浪士」には、忘れずに挙げておきたいことがある。「一枚絵」の美しさでは東映の赤穂浪士が群を抜いて優れたものがあった。片岡源五右衛門の切腹前の目通りのシーンなど、静止画として実に美しい。松田定次監督の映像美なのだろう。この作品は東映自慢のシネマスコープで撮られたのだから、劇場で見ればさらに感動的な映像だったことであろう。
この赤穂浪士では中村錦之助が小山田庄左衛門を演じている。東映の他の忠臣蔵では小山田庄左衛門に光を当てたものはほとんどないから、数少ない若手の人気俳優をこの役に当てたのは本作だけの趣向のようだ。会社としての厚みがあまりなく、どの作品も同じようなスタッフ同じようなキャストで作っているだけにいろいろ試みているのだろう。分厚く絢爛な総合力を持つ大映に対して役者の重厚な演技に頼る東映、といった対比にも思える。

さて、最後に東宝の「忠臣蔵(昭和37年 稲垣浩監督)」を並べて、この話をまとめることにしよう。これはまた非常に現代的な味わいをもった忠臣蔵で、いま見て最も楽しめるのはこの三本のうちで一番かもしれない。
その成功の原因はなんといっても浅野内匠頭に加山雄三を演じさせたキャスティングの妙味にあるだろう。忠臣蔵を見ていてずっとわだかまりのように抱えている「なんで内匠頭は我慢できなかったのだろう」「お殿様がもう少し愚かでなければこんな苦労もあるまいに」という、ドラマのそもそもの原因に対する納得のできなさ、現代人は封建社会の人々のように素直に「お上」に殉ずることができないから、そこのところがどうもスカッとしないのであるが、加山内匠頭は見事にそこを納得させてくれるのだ。

加山雄三はどんな役をやっていても加山雄三で、それは俳優としては下手なのかもしれないが、役者としては非常に個性的な、なかなか得がたい存在感の持ち主だ。しかも東宝である。若大将のキャラクター「馬鹿がつくほど正義感が強く、一本気で、理不尽な光景を眼前にすると後先考えず行動してしまう」をそのまま若殿様に当てはめると、愛すべき内匠頭が目の前に現出するのである。違うのは若大将なら「いけねェ、またやっちまった」と頭をぽりぽり掻けばすむところが若殿の場合は切腹お家断絶になることであるが、このキャラクターはそれを乗り越えてしまうほど強い。

松の廊下で、逃げ惑う上野介(ここをハンドカメラで追うのはいい感じ)、追う内匠頭を見て「がんばれ!もう一太刀、そこだ、内匠頭!」という気分にさせてくれたのは加山内匠頭が初めてであった。

また、通常、梶川与惣兵衛に取り押さえられるとわりあい淡白に「もう落ち着き申した」となる(それが内匠頭の育ちの良さということであろう)のであるが、加山内匠頭は上野介の姿が見えなくなってもまだ「お放しくだされ、もう一太刀!」とジタバタし続ける。このあたりもあり余るエネルギーの噴出という感じで、いかにも、と納得させる力がある。

そのうえ、切腹までの間この内匠頭を預かる多門伝八郎が有島一郎なのだから、思わず飯田蝶子はどこだ?と探してしまいそうになる。このキャスティングは楽しかっただろう。多くの忠臣蔵映画では前半はなんとなく「イジメ」のドラマで鬱陶しく、内蔵助が登場してから「さて」と見る気になるものだが、この東宝の忠臣蔵は前半に見ごたえのあるものだった。

主な役柄は内蔵助=松本幸四郎、上野介=市川中車。後は顔見世興行、お祭り的な演出で、とにかく役者が出てくる出てくる。物語が始まる前から、勅旨の泊まる宿屋の主人が森繁久弥だし、畳屋の職人に柳家金語楼、島原の幇間が三木のり平、別格扱い槍の名人俵星玄蕃に三船敏郎、夏木陽介の岡野金右衛門に吉良邸の地図を渡す、恋するおつやに星ゆり子、その兄にフランキー堺。その他、三橋達也、市川染五郎、河東大介、宝田明、江原達治、益田喜頓、志村喬、藤原釜足、司葉子、原節子、草笛光子、沢村貞子….役者の顔を見せるために脚本を書いたようなもので、話の筋は知っているわけだから、俳優を見て楽しむことになる。いつ植木等や坂本九が出てきても不思議ではないような「東宝の匂い」のする忠臣蔵である。

映画の忠臣蔵は、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵とはまた違う、映画ならではの役者の個性、監督の個性、会社の個性の出るものである。メディア状況がこう変わってしまっては、映画という形で新しい忠臣蔵が続々と生まれることは期待できそうもないが、幸い多くのフィルムがデジタル化されて、好きなときに見ることができる。子供の頃から青春にかけて体験した映像に再会することができるのも、この時代に生まれた幸福であろう。この幸福を肴に今宵も旨い酒を飲めれば、もうなにも言うことはない。



(2007年06月25日)







c 1999 Keiichiro Fujiura

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