ふじうら旅日記

2日目 その2






パロ谷 遠く「ゾン」が見える
カルマの英語がよく聞きとれない。昨日の電話もそうだったけど、私の「英語耳」はそうとうに錆び付いているようだ。彼は真面目なガイドで、空港からホテルに向かう間にもしきりに解説をはじめる。

パロ空港は川沿いの平地にある。つまりその辺りがパロ谷の谷底にあたる。谷はパロ川で二つに分かれているので向こう側に渡るには橋を渡らなければならない。見た目で近くても、橋の位置によってはかなり遠回りする必要がある。

ホテルは空港から見て川向こうの高台にあるらしく、カローラはまず下流にある橋を渡って対岸の坂道を登っていく。

あたりの景色は、コスモス、色づき始めた稲穂、河原と清流、農家の屋根、そこに干された赤い唐辛子。なるほど「古き良き田舎」の光景である。

ただ、建物はエキゾチックで、窓の意匠など非常に手が混んでいる。そこに塗られた色も空港と同じ鮮やかなものだ。泥絵具で塗ったようなマットな(光沢のない)色感である。
昔の日本の田舎のような風景

ホテルはブータン風の装飾がなされた木造建築。
しかもパロ谷を見下ろす眺めの良い部屋だ。

今日泊まることになっているホテルの名は「GANGTEY PALACE」。一目見て「へえー」と思った。なるほどパレスだ。以前は僧院だったとかいう木造建築で、ここまでにも見たブータン特有の美しい装飾が随所になされている。これはいいや。
部屋は201と202。「201」というのは地球の歩き方でも推奨されている、パロ谷を見下ろす景色の良い部屋だ。

このホテル有数の部屋に入れてもらえたのは、予約が早かったのが幸いしたのか、それともアメリカ人の大量キャンセルのせいか、それはわからない。

GANGTEY PALACE
まずは年長を配慮してもらって私が201、ヲサム君が202とする。201は角部屋。バスルームも広い。ヲサム君は「202のバスタブは木製ですよ」と喜んでいる。

201という数字は二階だからだ。梯子のような急な階段を登る。概してブータンの階段は急勾配である。 この棟には3室あって、もうひとつの203には体格のよいアングロサクソン男が泊まっていた。少し立ち話をしたが彼は長期滞在している様子だ。

案外長逗留する人も多いらしい。最初からガイドを前提としている年配客にとっては、あの「規定滞在費」もあまり抵抗感がないのだろうか。

右端の部屋が201
Gangtey Palace
とりあえず昼飯はホテルで摂ることになった。バイキング形式。あまりブータン料理という感じではなく、カレーを中心にしたインド風の料理だが味付はかなり外人向き。
「晩飯は外食にしよう」

昼食後、休憩していたら階下でヲサム君が誰かと話している声がした。日本語だ。五人組の皆さんもこのホテルに泊まるのらしい。 「昼飯はもうすんだのですか?」「私たちは町で食べてきました」。
そのほうがよさそうだな、と思う。

ブータンで試したいものに石風呂(ドツォ)というものがある。大石を焚き火で焼いて風呂桶に入れる、屋外風呂だ。大陸旅遊からもらった資料では「今回の宿泊地のうちドツォが可能なのはパロ/ワンデュボタン。ただしパロではホテル内ではなく近所の農家。実施にあたっては現地でガイドに確認してほしい」ということであった。

午後の日程を確認しにカルマが部屋にやってきたので「今晩ドツォに入れるよう手配してくれ」と言ったところ、即座に「最終日に用意します」という回答が返ってきた。あまりきっぱりしているのでなんだか変な感じも受けたが、彼は彼なりに心づもりもあるのだろう。



さて本日はパロ泊まりなので、とりあえずこの周辺を見に行く。なにはなくとも「ゾン」である。ゾンとは僧が寝泊りして修行する場所だが、同時に城郭でもあり、また役所でもある。「城」と訳されることが多い。

川をさかのぼる方向へ進み、橋を渡る。ゾンは遠くからでも見えるが、道のりはけっこうある。

ゾンへ向かう
入口に軍人が座っていて、帽子を取れ、上着を着ろ、とうるさい。ヲサム君はいくぶんラフな格好をしていたので威儀を整える。私は作務衣を着ていたのでとりあえずクリア。

ゾンの入口で、カルマは礼装を意味する白い布を肩にかける。ミンジュ−はクルマに残って見送りだ。



中央に塔。その周囲を宿坊棟が包む。中庭に洗い場などもあり、なかなか「住んでいる」雰囲気。しかし、想像していたほど荘厳敬虔ではなく、なんとなく「ゆるんだ」感じ。子供の修行僧などアイスキャンデーをくわえて笑いながら歩いている。 臙脂(えんじ)の衣を着た坊さんと坊さんの卵がいっぱい。鐘や銅鑼で時刻を知らせるらしく、軒先に銅鑼と撥が釣り下がっている。

「撮影は固く禁止」と言われていたのだが、見ると白人観光客は平気でパチパチやっている。ヲサム君が抗議するのだがカルマは哀しそうな顔をして「ダメなのです」というので、なんだか差別されているような不満を持ちながらもしばらくは我慢する。

3時から「毛布の踊り(ブランケットダンス)」がある、というのでそれまで待つことにする。まだ2時前だ。

パロ・ゾン
Paro Dzong
壁画が多い。仏陀の周りにいろいろな天人聖人を描いてあるようだが、見分けがつかない。いちおうそれなりにインドの仏画については本を読んだりしたのだけど、まるで違う。チベット仏教を勉強しておけばよかったのかもしれない。ブータンに仏教を紹介した僧が重く扱われているようであり、またヒンドゥの神も従えているようなのだが、なにぶん基礎知識が少なくてよくわからない。

カルマが熱心に説明してくれるのだが、固有名詞はこんがらがるし、申し訳ない。みんな同じに見えて最後まで「どれがブッダ?」と質問するレベルを超えられなかった。

カルマが坊さんに声をかけてくれて、中央の塔に登る。急な階段だ。「岐阜犬山城の天守閣がこういう階段だったな」と思い出す。ゾンの中央塔は一種の天守閣なのだろう。

上の階に「秘密の儀式をおこなう部屋」があるという。僧侶に鍵をあけてもらう。真っ暗だ。それもそのはずで壁が全て黒く塗られている。窓の覆いをずらして明かりを入れると、その黒い壁に骸骨の踊る絵が描かれている。首に沢山のシャレコウベをぶらさげて踊る悪鬼のような姿もある。

これは「死」を考える部屋らしい。最近亡くなったばかりの家族のことを想い、その安らぎを祈る。



ようやくブランケットダンスのはじまる時刻が来た。儀式の部屋には女性は入れない。祭壇の前に太鼓を持った少年僧が居並び、奥に法螺貝のような音のする管楽器が座る。これは大きな金属筒のようなもので円錐形をしていて、見た目は太いチャルメラのようなものだが指穴はなく、ぶおーっと太い音がする。案外タンギングもできたりするのを後で発見した。神秘的な低音で効果がある。ブータンの宗教儀式の通奏低音のような楽器だ。

太鼓は左片手持ちで右手に撥(ばち)。「?」型にくねっと曲がった撥で先端に布マレットがついている。

この二つの楽器を伴奏に読経が続く。いつまでも何も起こらないなあと眠くなってきた頃、入口から金持ちらしい中年男と二人の子供が歩みより、祭壇の前に頭を垂れた。このふたりが「ブランケットダンス」の依頼主らしい。どうやら一種の祈祷のようなもののようだ。

またひとしきり読経があったあと、ようやくダンスがはじまった。毛布のような布を持った5人の若者僧が祭壇の後ろから現れて踊り回る。ほんとうに「回る」のである。ブータンの踊りは跳躍と回転を繰り返す。組になっての振り付けはなく、各自がひたすら跳躍し回転する。しばらくは見ていたが単調は単調なので眠くなってしまった。

別の出口からゾンを出て、外の坂を降る。よい「秋の景色」である。
ゾンの外の坂で
Karma and Wosamu
堀川に架かる古橋
ゾンのこちらがわは川を堀がわりに使っているようで古びた橋がかかっている。屋根付きの木造橋で手すりには経文を印刷した五色の布がひるがえっている。もっともはじめは五色だったのだろうが今は古びてみんな枯れ葉に近い色になっているけれども、それはそれで鄙びた風情があった。

橋の上にも牛糞が落ちている。どうもブータン人は「道の掃除」という想念があまりないものか。人口のわりに道路のゴミは多い。
城の橋上にも牛糞が落ちている
通常はこの後博物館に行くのだが、今日は休みだそうだ。ちなみにドゥック航空の事務所も今日は休みなのでリコンファーム手続きができないという。今日が日曜日だからか、祭りが近いせいで変則的になっているのか、それはよくわからない。

パロの空を飛ぶ飛行機 上空を飛行機が飛ぶ。見るとドゥック航空機ではないようだ。チャーター便もあるものらしい。





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