ふじうら旅日記

4日目 その1






祭りの初日。
着飾った村人と共にゾンへ向かう。

いよいよツェチュ(祭)の朝が来た。ツェチュとは「10日」という意味だという。つまり「十日祭」というわけだ。それなのに、ワンデュポダンのツェチュとティンプーのツェチュでは違う日に開催される。それはなぜかというと「地域ごとにカレンダーが違う」からである。

ことほどさようにブータンでは地域ごとにすべての習慣が異なる。と同時に、暦もまた複雑なものらしい。忌み日があるとその日がなくなるのはもちろん、忌み月があると月全体がなくなってしまう。つまり、四月の次に六月が来るなんてことは平気。それどころか同じ月が二つあるなどということもあるそうだ。「農業の行事に合わせて作ったというよりは、宗教の行事に合わせて作った暦」という記述を読んだことがある。

朝食。昨夜はパン(ここの窯で焼いたらしい。美味)だったが、今朝はコーンフレークが出た。ちょっともっさりしていて固い。「地元のコーンフレークだね」と言ったらヲサム君はしばしそれを観察して「いや、ケロッグの湿けたものです」と断言した。さすが食品メーカーの社員だ。

DAMCHEN RESORTのスタッフと
at DAMCHEN RESORT
スタッフと記念撮影して祭りに向かう。

行き先はウォンドュポダンのゾンである。英語の綴りではWANGDUE PHODANGと書くのだが、ワンデュフォダンと言えばいいのかウォンドュポダンと言えばいいのか正確なところは知らない。現地の人の発音はこれまた日本語にするには曖昧な領域に属する。

ブータン人にとって「カ」と「ハ」は同じ音と認識されているような気がする。このまちプナカも、人によってはプナハと発音している。英語のスペルPUNAKHAはそのあたりの事情を反映しているように思う。寺院はゾンカ語でラハンなのだが、これも限りなくラカンに近い。「羅漢」と言っているように聞こえる。おそらくは同じ語源なのかもしれない。

それからRの音が軽く発音されず、ほとんど「RU」あるいは「LU」に近いものになる。大きな建物を指して「あれはアルミのトレインです」とカルマが案内してくれたときは「アルミニウムの精錬所」かと思って「ボーキサイトはどこから持ってくるのだろう?」などと想像したのだが、実は「アーミーのトレーニングセンター」だった。この「アルミー(軍)」という単語はブータンを旅している間至るところで聞くことが出来た。

私たちのクルマは比較的高いところに刻まれた道路を通っていく。プナカとワンデュポダンは川続きで、古来はその川沿いの道を歩いて旅したらしい。川面に近いところに山肌をバターナイフでえぐったような道があり、そこをトラックが埃を立てて走っているのが上から見えた。

朝早い出発だったので牧草地に向かうだろう牛の群れにいくつも出会う。その中にいた二人の牛飼いが見たことのある顔だったので「爆笑問題」といったらヲサム君がその顔を見て大笑いした。「ホント似てますねえ。テレビに出せるわ」。爆笑問題の牛飼い。これはブータン滞在中いちばんウケた発見であった。



ゾンが見えてきた。川に近い岩山の頂上にある。ワンデュポダンの町自体、山砦のような地形であり、まわりにはサボテンがびっしり植えてある。これは有刺鉄線のような意味合いで敵の侵攻を防ぐ防塁だ。再びダショー西岡の話になるが、その本によると当時のワンデュポダンのゾンのトイレは切り立った山の上にあり、「穴の下は数百メートルの虚空でお尻の下から山風が吹き思わず足がすくんだ」とある。

ワンデュポダンのゾン
ダショーというのはブータンの尊称で、西岡氏はかの地に近代農法を持たらした日本人である。

橋を渡ってワンデュポダン側へ。あたりに着飾った人たちの姿が増えてきた。橋は架け替え中らしく古風な石の橋と同じ形をした新しい端を架けているところだった。クルマは長い坂道をうねうねと登る。人々は近道の急な坂道を登る。坂を登り終えると人の波だった。青、緑、紫、金糸銀糸の晴れ着を着て村人が集まっている。

あまりに人が多いのでどこがゾンの入口かはじめは把握できなかったが、次第に村の地形が見えてきた。坂道を登ったところが広場、ここは駐車場でもあり、乗合バスの発着所でもある。そのまわりに商店が並んでいる。広場からは三つの道が伸びており、ひとつはさっき上がってきた橋からの坂道、もうひとつは山沿いに遠くの町へ行く街道、そして村の奥、ゾンへ向かう道である。

そのゾンへ向かう道を進む。とても賑やかだ。祭りを当て込んで仏具を売る露店や鳴り物を鳴らす乞食がいる。祭りと関係ない顔をして働いている石工の姿もあった。人々の流れは道の奥ゾンへと向かう。

アチャラ
ゾンへの道で、祭りらしい姿と出会った。頭より一回りも大きい赤い仮面をかぶった男。アチャラだ。

アチャラは「道化師」と呼ぶべきものだろう。祭りを盛り上げ進行させる狂言回しのような存在である。出番の間に周辺を盛り上げに来たものか。今日は初日だから彼自体まだアチャラの姿に慣れていないのかもしれない。写真を撮ろうとしたら近所のおばさんが「私も一緒に撮れ」と言うので、そのとおりカメラにおさめる。

この二人の顔は似ている。夫婦といっても不思議ではない顔付きだ。

アチャラという言葉が「道化」を意味するというのも、どこか日本語に近いものがある。私たちは「あちゃらか」と「おちゃらけ」という言葉を持っている。また「花菱アチャコ」という芸人を知っている。

今日はゾンに入るのに記帳は要らなかった。山門をくぐる人は少し顔を上気させている。ちょうど初詣の人の群れのようだ。日本の寺なら仁王像がある左右の位置にマニ車があり、一周するたびにカンカンと鐘を鳴らしている。

大きな瓜を持っている人が多くいたので御供物かと思ったが、自分たちが食べるためのものであった。どの家族も弁当の包みを抱えている。

ワンドュポダン・ゾン 正面
その初詣のような雰囲気から、踊りを見る前になにかお参りのようなものがあるのかと思ったが、今日は踊りを見るだけであった。後で聞くと、お参りをする日は別に定めてあるのだそうな。

晴れ着の少年
女は派手な色のキラをまとい、男は渋い色のゴに白いカムニ(肩掛)か白い平襷(たすき)に赤縁がついたものを斜めにかけている。タスキはちょうど選挙のときに代議士がかけるような形だ。肩から斜めにかけた姿は袈裟の原型を思わせる。

「男は渋い色」と書いたが、中には黒地に金の錦で龍を描いた、えらく派手なゴを来た伊達男もいる。龍は最も人気のある絵柄の一つだ。他には丸い紋の文様もよく見かける。

山門をくぐると大きな中庭がある。広場の中ほどのところに大きな菩提樹が立ち、それから先が舞台という心だ。

人々は踊りのスペースを空けて周囲に座っている。あの豪奢な衣装を着けて埃だらけの石床に座るのである。もちろん簡単な敷物は敷いているが、そばを人が歩くから土埃がかかる。それについてあまり気にする様子は感じられない。

晴れ着で石床に座る




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