ふじうら旅日記

7日目 その3






田んぼの傍の空き地でドツォに入る。
あー、これはなかなか気持ちいいものだァ。

田んぼの間の小路を入っていく。道脇に農作業用のような小屋があった。「これがドツォです」。小屋の奥に平臼のような木の風呂桶がある。どっちかといえば「みすぼらしい」といった眺めだ。「えー、ここに入るの?」とマユミさんもちょっとショックを受けている。とくに覆いもないし、道から丸見え。ここでいいのか?

農家は大きな木造家屋で、子供がたくさんいる。皆「クズザンポー(こんにちは)」と挨拶してくれる。親兄弟が一緒に住んでいて16人一家だという。家の大きさの割に入口は狭い。1階の天井はけっこう高い。狭くて急な階段を上がって二階の居間へ。大きな家なのにどうして階段はこんなに急なのだろう。

居間は20畳くらいの広さ。壁に竹で編んだ丸籠「ボンチュー」が飾ってある。これは竹を美しく編んだもので、二つの丸いお椀のような竹籠をぱかっとはめて物を入れるものだ。通常はお弁当を入れたと聞いている。部屋の中央に藁がぶらさがっていたので「あれはおまじないか」とカルマに聞いたら「ただの飾りです」だと。

床は板の間。そこに絨毯を敷いてある。畳一畳ほどの厚い絨毯も二つほどあり、客席だというのでそこに座りこむ。

まずはスージャ、例のバター茶が出る。米を炒って味を付けたものが大きな器に入って出る。ちょっと甘いものもある。固めてない「おこし」のような感じだ。四種類ほどあったのだが、ヲサム君はひとつひとつ真剣に吟味している。スナック菓子の原点なのかな。

「さて、そろそろドツォにしましょう。入る順序はどうしますか?」。え、そんなこと言われても。「ブータンではだいたい年齢の順です」。といわれて一同、私のほうを見る。はいはい。では先に入ることにしましょう。

外は薄暮となり、小雨が降り始めている。しかし雪駄履きなので気は楽だ。先ほどの小屋まで戻るとご主人と息子さんが焚き火をしていた。火のそばにボーリングの玉より一回り大きいくらいの丸石がごろごろしている。それを火で焼いて、金バサミではさんで、いったん湯船のそばのバケツにジュッと入れる。「温度を下げているのですか」「いえ、ゴミを落としているのです。そのままでは汚いから」。

焼けた丸石を数個、湯船の足元のほうに入れる。「もういいでしょう。入ってください」。小屋の入口に服をかけて湯船に入る。灯りはロウソクひとつ。焚き火の光があたって、なかなか風情がある。石は足のほうだけに入っている。触ると熱いので足は湯の中であげている。おもしろいことに、普通のお湯はだんだん冷めていくものだが、このお湯はだんだん熱くなってくる。石の熱が湯に伝わってくるのだろう。それについて身体もぽかぽかと温まる。

「あー、いい湯だった。ありがとう」と部屋に帰る。「荷物は全部ここに置いて、私の雪駄を履いていったほうがよいですよ」。コバヤシ夫妻はご一緒に入るということなので、次はヲサム君の番だ。

ヲサム君が入っている間、暇である。この家の奥さんがお茶などの世話をしてくれるので話をする。「ブータンの家には仏間というのがあるそうですね」「仏間?」「えーと、お祈りをする、、、」「ああ、わかりました。ありますよ」「見せてもらえますか?」「どうぞ。隣です」

居間の隣室に入れてもらうと、「すごい、、」。部屋の正面には大きな仏像が祭られていた祭壇があった。板の間に大きな太鼓が置かれている。家の中に小さな寺院があるようだ。

お参りをする。「家のいちばん良い部屋を仏教に使うんですねえ」「人はその残りのスペースに住んでいるんだね」「どこの家にもこういう部屋があるのかなあ」「そうなんでしょうねえ」。部屋に稲穂が落ちている。豊穣の祈りの余韻だろうか。

無理を言ってアラだけでなくチャンも飲ませてもらう。
容器がありあわせなのも それらしくてよろしい。

ヲサム君が帰ってきて、コバヤシ夫妻がドツォに行った。そろそろお茶だけでは間が持たなくなってきた。「アラを飲みますか」と奥さんが聞く。アラというのは蒸留酒。つまり焼酎のようなものである。「はい、飲みます。それとは別にチャンを飲みたいのですが」。チャンというのはアラのもとになる醸造酒。どぶろくである。原料は米だ。

「チャンは家で飲むものしかないのですが、、、」とちょっと躊躇していたが、「いいでしょう」ということになって、そこにアラとチャンが運ばれてきた。アラは美しい竹の器に入っているが、チャンはコカコーラの空き瓶である。応急の対応であることが容器でもよくわかった。

正確に言うとブータンでは酒全体の呼称が「チャン」である。アラはその一種で「蒸留されたチャンをアラという」。今日だしてくれたチャンは「シンチャン」。甘酒をさらに醗酵させたらアルコールと酢が同時に出来た、という感じの醸造酒だ。アラは40度から50度。シンチャンのアルコール度数はそれよりは低い。

コバヤシ夫妻がドツォに行っている間シンチャンをちびちびやっていたが、弱いとはいえ湯上り空きっ腹なのでそれなりに効く。これでアラだったらすっかりできあがってしまいそうだ。

家族は私たちとは別の部屋で食事。
あっちはもっと辛いのか?

全員揃ったので夕食開始。家庭風の美味しそうな食事だ。しかし家族もスタッフもみんな揃って別室へ行ってしまう。「もっと辛いやつを食べているのだな」と、イヅィを頼む。唐辛子をすりつぶして塩をまぶしただけのすこぶる辛いイヅィが出てきたので喜んで食べていると、ドルジがいたずらっぽい顔をして「これ食べますか?」とやってきた。生唐辛子に塩をつけて食べるか、というのである。食べる食べると一口かじったらうまい。「おいしい」と受け取ると、なんだかみんながこっちを見ている。ほんとに食べられるのか?という顔をしているのでそのまま食べたが、確かにこれは辛かった。

唐辛子の辛さは一定時間口の中に残り、すーっと消える。それは音みたいなもので、急速に辛さが立ちあがって緩やかに減衰していく。前の辛さが消えないうちに次の辛さが来ると、刺激が重なって足し合わされる。そしてその合計量がある線を超えると耐えられなくなる。その「ある線」近くまで来てしまったら、もうどんな小さな刺激でも限界を超えてしまう。

そういうわけで最初の一口はうまかったが、二口、三口と食べるにつれ辛さの上に辛さが重なって私の口の中は火のようになった。こうなってしまうとさっきまで物足りなかった程度の辛さでも足し算に加わってくるので、なにを食べてもヒリヒリする。しばらく待って口の中の辛さがおさまるのを待つしかない。さすがに生唐辛子を齧っている間はイヅィの出番はなかった。

しかしながらこの「ブータンの太い唐辛子を生のまま塩をつけて食う」というのは実にうまかったのである。イヅィ一本!という感じだ。

辛さに強いとは、(1)その限界の線が高い(2)刺激に対して立ちあがりの量が低い(3)減衰が早い、の3つがあるということだと思う。ブータン人はこの3つを備えているのだろう。悔しいなあ。



踊る。踊る。いつまでも踊る。
ブータンの人は踊りが好きみたいだ。

食事が終ったので「ショータイム」。この家の主人が私たちのそばに座り、家族を紹介する。まずは小さな子供たちの踊り。輪に座って唄う姿は日本のわらべ歌と同じようで、これもまた老人が目の当たりにすれば涙が出そうな姿である。

愛らしい子供たちの唄が終って我々もお返しに「上を向いて歩こう」などを合唱すると、「では」という感じで大人たちの踊りが始まった。

最初はおずおずと始まったのだが、だんだん盛り上がる。一人が歌い手になり、その人も含めてみんなで輪になって民謡のような哀愁のメロディに合わせて踊るのだが、たいていの場合これがだんだん速くなって最後は駆け足のようになるパターンだ。

リズムは4−4−4−4−2のように四拍子を基調にして節の切れ目で伸びるものが多い。これはツェチュでもよく聞かれたリズムで、変拍子というよりも一節の終りがちょっと延びる感じのものである。

パロの農家で
with Farmer Family in Palo
こういうことにも個性は出るもので、ミンジュはすごく不真面目にやっているし、カルマは照れながら一生懸命やっている。たぶんご主人の奥さんだと思うのだが、一見クールな外見だったのにダンスがはじまると積極的だった。クールな態度のまま「次はアレ踊ろう」と熱心なのにはちょっと驚いた。

一曲一曲が長く、しかも延々と続く。私たちはしだいに顔を見合せ「これは疲れるのを待つしかないか、、」とささやきはじめる。

壁にひっそりとご主人のご母堂とおぼしき上品なお婆さんが座っておられ、歌い手が歌詞を思い出せないと助け船を出すのだが、これが座ったまま唄っているとは思えないほどよく通る良い声で、実はこのお婆さんがいちばん唄がうまいように感じた。できればソロで歌ってほしいほどだが助け船を出すだけで後は控えめにしておられる。

このお婆さんが私たちの様子に気づき、「ではそろそろ」ときっかけをくれた。

「では次の曲をラストに」ということになったのだが、それでもなお数曲続き、私たちも「北国の春」を歌うことになって、それでも踊る。最後は「これ以上間を置いたらまた踊り始めてしまうから、すぱっと帰ろう」。逃げるように終って、これでようやく解放された。

ところでここの支払いについてだが、食事が終る頃カルマがちょこっと我々のところに来て「お礼として一人これだけ」というようなことを言った。メモが残っていないのだが、200ニュルタムだったかと思う。食事代は前払いしているのだけど、これだけ酒を飲んでもてなされればまあ順当だろう。

農家から出て暗い道を橋まで歩く。農家の人たちも一緒に歩いて送ってくれる。ほんとうに暗い道で、そこを皆で歩いているのはなんだか楽しいものである。夏の宵のような風情がある。誰ともなく唄い出す。それは子供に戻ったような楽しい瞬間だった。



農家の人たちに手をふってホテルに戻る。今日が最後の夜なのでスタッフの人たちとビールを飲むことにした。GANGTEY PALACEに無理を言ってバーを開けてもらう。残ったニュルタムとドルの混合で払うので支払いの計算に時間がかかった。ブータン人は計算が苦手なのである。

ブータン最後の夜、ガイドたちと別れの酒盛り。
外国との接点が新しい世代を生んでいく様子が感じられる。

コバヤシ夫妻も、そのガイドのドルジも参加した。ドライバーのナムガイは早々に部屋に戻る。どうやらミンジュと博打の続きをするようだ。ミンジュはYTホテルの敵討ちをするつもりなんだろう。

私を除いてガイドも客もみんな若いので話が合うのだろう。とても楽しいビアパーティだった。ドルジはえらくハンサムだし、農家で歌っている姿も堂に入っているなあと思っていたのだが、「歌手でもある」という。なるほど、それで納得だ。

外国との接点の少ないブータンではガイドは人気商売で、裕福な子弟が外国文化に接するためにやっている場合もあるそうだ。彼もその一人なのだろう。レコードビジネス、外国人相手のビジネスを考えているらしく、今後ブータンが発展するにつれて彼は重要な地位を占めるだろうと思う。

ガイドたちが逆にアラをおごってくれた。透き通ったそのアラはとても洗練された味で、東京のバーでも充分に出せるほど優れた品質のものだった。ストレートで飲んだのだが、いま思い出しても喉がごくりと鳴る。

さあ、これでブータンの旅も終り。明日の朝5時には起きてバンコクへ。そして明後日は帰国だ。





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