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9時過ぎに目を覚ます。フロントが自慢していたとおり、窓からの海の眺めはすばらしい。この一角は海岸に近い。当時の港町のなごりのようだ。 朝食が付いているので最上階のレストランに食べに行く。食事はともかく、陽光が注ぎ込む窓からの眺望は素晴らしかった。 |
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12時チェックアウトなので、それまで少し散歩する。どれが有名な建物なのかわからないが、かまわない。今日は日曜なのでとくに静かな朝のようだ。 |
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一泊8RM(285円)の外国人用ドミトリーがあった。 ラスタカラーに塗られたレゲエの店があった。 この街もまた東洋の特異点のひとつらしい。現在も外国文化の流入口として機能しているようだ。 ぶらぶら歩いていると白人観光客に道を尋ねられた。汚いサンダルを履いてぺたぺた歩いているから地元の人に見えたのだろう。 |
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古い教会の裏手へ回ってみたら墓地があった。墓碑銘を見ていくと西洋人の名前で1800年代のものが多い。日本でいえば幕末から明治にかけての頃だ。遠く祖国を離れて、この「世界の果て」で朽ち果てる心境はどんなものだったろう。 マレー人ホステスを相手に古いカラオケを唄う日本人ビジネスマンに、共通するものがあるのだろうか。 |
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帰国後調べてみたところでは「1768年イギリスはマラッカ海峡北入口の戦略要点としてペナン島を占拠するとともにその港としてジョージタウンを建設した」そうな。 当時の英国王はジョージ三世だからその名前を取ったのだろう。ジョージ三世という王様は英国史上最大の失政の一つをした人、すなわち「アメリカが独立したときのイギリス国王」である。それを思うと1800年代の時代背景がおぼろげながら感じられるような気がする。 |
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ホテルでチェックアウトをして、トライショーでフェリー乗り場まで行く。途中フォート(砦)に寄ってもらい外観だけ見て行く。内部はまァよろしい。どこも似たようなものだ。 フォートの前に素晴らしいヨットクラブがあった。その前の海が線を引いたように半分だけ波があって半分だけ静かなのが不思議だ。きっと海底になにか防波堤のようなものがあるのだろう。 |
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ホテルからフェリーまで3RM(107円)。真っ白な路面に黒い影が落ちる、強い陽射しの日だった。 |
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帰りのフェリーは無料なので改札もなくバターワースまで帰る。 列車の時刻まではまだ間があるので船着場の近くのバスターミナルで食事する。店も多かったが、その中にたくさん並んだ料理を指差して皿に入れてもらうタイプの大衆食堂があった。チキンカレー、あさりのカレー煮、もやしのカレー炒めをご飯にかけて4RM(142円)。うまい。 |
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食後にハーブティ1RM10(39円)を飲んだがこれは甘かった。生水も気にせず飲む。YAMのアイスクリーム1RM20(42円)、カラマンシー(小さな柑橘類)のジュース1RM50(53円)。冷たいものばかり摂っている。 |
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しまった。酒がない。夜汽車に酒がないのはつらいが、マレーシアでは手に入らないだろうとあきらめる。タイに入ったらなんとかなるだろう。 |
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