Kuala Lumpur
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主人は熱心に私をギャンブルに誘う。
しかしその手口なら知っている。

なるほどね。おおかた見当がついた。
その手なら知っている。手口はこうだ。

@
簡単な「必勝法」を教える。最初はうまく行くので「お前は天才だ」とおだて、カモはその気になる。
A
そこへ「金持ちの知人」が現われる。金持ちが席を外したとき主人は「ふたりであいつに大勝ちしよう」とカモを誘う。
B
カモは最初緊張しているが教わった方法を実行すると勝ち続け、欲が出てくる。金持ちが賭け金を吊り上げるが、カモはさらに勝ち続ける。
C
カモに素晴らしい手が来る。金持ちはあまり良い手ではなさそうなのに、それに立ち向かってくる。
D
後ろで見ていた家族たちが「絶対勝つ」「大儲けできる」とあおり、巨額の勝負となる。
E
金持ちにカモの手を上回る奇跡のような手が来てカモは負け、大金を失う。
F
カモは誰に強制されたのでもなく自分で賭けたのだから文句も言えず、警察に訴えることもできない。


「勝ったらパーティしよう」とあおり、負けると意気消沈して見せる家族に「絶対勝てる手だったのに私のせいで負けてごめんなさい」とカモが泣いて謝った例もある名手口である。

海外での出会いにナイーブに感動する日本人、目先の欲に目が眩んだ中国人を、この一味はカモにしているのだろう。


様子を理解していただくために、種目はブラックジャック、必勝法が「絵札の数を数える」と仮定して説明しよう。これは「カジノ初心者に必勝法を教える」、しかも家庭でプレイするとすればありそうな組合わせだ。

場に出たカードに絵札が少なければ、山に絵札が多いのだから親はバースト(ドボン)する可能性が高くなる。という理屈だが、カモは出た絵札の数を数えるのに夢中でディーラーの手元など見る余裕はなくなる。

「山はほとんど絵札」という状況で、自分に絵札が2枚、つまり「20」。親の見せ札が「4」という局面が訪れたとしよう。親の手は合計で「15」(手札がA)以上ということはないので必ずもう一枚引かねばならず、しかも山札はほとんど絵札である。これは親がバーストする可能性がきわめて高い状況であり、ほとんどの場合自分が勝つと思われる。

カジノなら賭け金は定まっているがそこはホームギャンブル、相手が金額を吊上げて「これに応じなければお前の負け」とか言い出す。

あなたは教わった必勝法でずっと勝ってきている。「相手はアツくなっているな。馬鹿な奴だ。今回は絶対自分の勝ちだ」とそれに応じるだろう。もしも降りようとすると、まわりにいる可愛い女の子に「ここでいかなきゃ男じゃない」とか「勇気がないのね」とか言われる。降りることはとてもできない。

どう考えても自分が勝つことは確実に思えるし、賭けに応じる。ひょっとしたら2枚の「10」を独立させて(スプリット)さらに一枚づつ引き、両方が「20」になるかもしれない。そうすればさらに賭金が倍増する。

ところが、親の伏せたカードが7で、一枚引くと予想どおりそれが絵札。つまり親の手は奇跡のように「21」になってあなたは負ける。

例えばそういう仕掛け。もちろんカードは「仕込んで」ある。


叔父さんはしきりに「よく旅行するのならあちこちのカジノへ行っただろう」とか「大勝ちしたことがあるか」とか言って、私にギャンブル自慢をさせようと水を向けてくる。

「ラスベガスに行ったことあるか?」
「2回。仕事でね」
「種目は何だ?」

私がうっかり「種目はルーレット、ブラックジャックもやる」とか「ギャンブルは得意だ」などと言おうものなら、それをきっかけにカードを取り出そうという様子だ。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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