Kyaikhtiyo
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再度黄金の岩まで登り、ヤンゴンに帰る。
普通の観光地ではまったく感激できなくなっている。

キンを駐車場に置いてもう一度登る。登り始めてすぐカメラを自動車に置いてきたことに気づくが、まあよい。昨日は写真を撮ることに気を取られて、自分の目で実物を感じることが足りなかったきらいもある。


黄金の岩肌
今朝も橋を渡って黄金の岩に触りに行く。隣の男が経を唱えている。それを聞きながら額と手を岩に押し付ける。

今日はまだ早いので人も多くない。人気がないので山頂の石床の向こうにひろがる風景を堪能できる。見れば見るほど三蔵法師の道だ。「ここまで来ればもう天竺も近い」と言いたくなるような景色である。

下り道で漢方薬屋に寄って「クマのキンタマ」を訂正していこうと思ったのだが、きのう声をかけてきた男はおらず、代りに昨日もいた言葉のまったく通じない若者が店番をしていた。マンドリンを持っていたので「貸してくれ」と目顔で伝えると「何か弾け」という顔をして渡された。

僧院の石窓 おそろしく変なチューニングで、6弦と5弦は6フレットで(増4度)、5弦と4弦は2フレットで(長3度)合わせてあった。おそらく正規の調弦法を知らないだけだと思うが、民族音楽は奥深いので断言はできない。そのチューニングのままあれこれ音を鳴らすと、若者にはそれなりに受けた。

クマノイについては修正することはできなかった。これもなにかの縁だろう。しかたがない。


駐車場まで降りるとキンは「もう済んだか」という顔をしている。怠け者のくせに態度が大きい。

ヤンゴンまでの帰り道、この一帯を離れるまでいたるところに自動小銃を持った兵士が立っていた。「ゲリラはいま密輸で潤っているから平穏」という話だが、見方によってはチカラを溜めているところでもあるのだろう。そのうちもっと強力な武器を使った戦いが始まるのかもしれない。

キンは帰り道であちこち寄りたがる。客のために観光コースを紹介しているというより、どうも自分が行きたいフシがありありだ。「JUST GO IN, OK ?(ちょっと行くだけ、OK?)」などと言う。しょうがないから寄ることに合意すると、いそいそしてすぐ自分の土産を買ったりしている。

仏教信者にとっては何度でも行きたい場所なのか。ガソリン代を使ってこのあたりに来ること自体がたいへんなことなのか。

バゴーの寝仏をちょっと見る。うーむ。これはこれで味がないこともないが、「ハリボテみたいな小さな名所はもういいや」とその先は何も見ずにホテルまで帰る。ボロブドゥール以来、偉大な仏跡を見続けてきた。黄金の岩を見た直後でもある。多少の仏教名所ではなんの感銘も受けない。

汚れた足 黄金岩仏塔のあった山道の白い土で、なにもかも埃っぽくなっている。足とサンダルは粉をまぶしたように真っ白だ。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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