Kyaikhtiyo
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宿舎の主人の朝の祈りにつきあう。
村の広場では少年僧が銃の玩具で遊んでいる。

「夜明けに登るはずだが」とキンを起こしてもらうが、ゲストハウスのおじさんは部屋を見に行って「まだ寝てる」とニコニコしている。しかたがないので居間でぼっとする。

このゲストハウスの主人という人は60がらみの上品な老人。外国客相手の宿舎を開いているだけあって多少の英語を話せる。ロンジー(腰巻)をして立ち働いている姿が美しい。ぴったりと「板に付いて」いる。

ご主人はぼーっとしていた私に甘いお茶と揚げパンをくれた。礼を言って食べる。どうもこの老人には高い知性を感じる。

朝のお供え ご主人はご飯を入れたものを持ってきて小さな金の器に分け始めた。御供物だ。それを部屋のあちこちにある仏像、仏画、肖像に供えてお祈りを始める。私もそれに付き合う。宗派は違うが違和感はない。

おじさんがお経のようなお祈りのようなものを唱えるのを、隣で正座して聞く。私の祖父も食事の度にこのような祈りを唱えていた。田舎の人の信仰はなかなかいいものだ。

朝の祈り 8体ほどの像、ひときわ立派な仏陀像、どこかしら革命の志士のような風貌の写真。この人はなんなのだろう、他の場所でも見かけた。実在の人物が信仰の対象になっている。乃木大将のようなものか。

祈りが終わったので、「たくさんのものに祈るのだね」と聞いてみた。老人はニコニコして「ブッダ、リタラチュア、モンクに祈る」と言う。なるほど、仏法僧か。

やることがないので、近所の散歩に行く。道端に水瓶が置いてある。どうやら誰が飲んでもよいらしく、一種の「持てなし」のようだ。この土地も乾いているので、水がご馳走なのだろう。


戦闘地帯の少年僧
村の広場へ行くと、紅色の僧衣を着た子供たちがたくさんいた。本職の僧ではない。子供の頃のある時期を寺で過ごしその修行のひとつとして聖地を訪問しているのだろう。一種の修学旅行のようなものだ。しかし子供にとっては聖址より村の土産物屋のほうがよっぽど気になる様子だ。


玩具の銃を持つ少年僧
男の子はやはり銃が好きらしく、土産物の機関銃の玩具を持ってゴキゲンだ。僧の衣服で銃を手にしているのは玩具とはいえ違和感のある姿である。


ドライバーのキンがようやく起きた。「早起きだね」とか言いながら呑気にやってくる。どうもこのまま帰る気だったらしく、もう一度登るというと嫌がる。昨日の「明朝早く登る」という言葉はなんだったのか。聞き違いにしてはあまりにも明確な言い方だったが。

キンはバス停留所まで行ったところで乗合のトラックに乗せようとするので「このクルマで行くのだ」と強制する。「駐車場代が300Kかかる」などとブツブツ言っている。

このドライバーは飯を食うと勝手に高いものを頼むし、断りもしないで車中でタバコは吸うし、どこにでもツバは吐くし、勝手にいなくなって自分の土産は買ってくるし、つまり、これがミャンマー人というものかもしれない。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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