Kyaikhtiyo
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黄金の岩に額を付け、山上の経声を聞いて
柄にもなく敬虔な気分になる。


橋を渡って黄金岩へ
その橋を渡る人は多いのだが、とくに整理をしているわけでも料金を払うわけでもないらしい。神社でお参りをするように自然に人が入れ替わるようだ。私も人の流れに乗って橋を渡ってみた。


岩に手で触れる
目の前で見る黄金の岩はさすがに大きい。手で触るとひんやりと冷たい。「動く」というがそうグラグラ揺れるわけではない。風に吹かれてかすかに動いていることはわかる。

岩下の隙間 岩の下はずいぶん空いている。岩の下を覗き込んだり、すきまにお金を挿む人がいる。紙幣を長く折って立たせることができる。それほどの隙間があるのだ。


岩に手で触れる
人々の真似をして黄金の岩に額をつけてみた。この岩のなかには釈迦の髪の毛が数本封じてあるという。


黄金の岩を逆光で見る
山々に飾ってある金属の風鈴が風を受けて鳴り響く。人々の読経の声が聞こえる。その響きのなかで、黄金の岩がかすかに揺れているのを額で感じる。

柄にもなく荘厳な心持ちになった。このままここにずっととどまりたいという想いが浮かぶ。


崖下から黄金岩を望む
土台の岩の下にも道があり、真下から黄金の岩を望むこともできる。もし岩が落ちたらまともにつぶされる場所だが、誰一人不安を感じている様子はない。


さきほどの色石を敷いた広場に戻る。かなりの広さだ。山上の広場という感じである。

奥のほうへ行くと仏僧の修行院があり、その向こうは小さな村になっていた。修行院は石づくりで木の扉。「寺」というより西洋の修道院に近いような佇まいである。


僧院の入口
ここから望む遠景は中国からタイを経てビルマ、インドにつながる山脈であろう。織りなす峯々をつなぐ一本の道があるようにも見えた。単なる風景の悪戯か眼の錯覚かもしれないが、西遊記に出てくる「天竺への道」を見る想いだ。

ミャンマー、タイには釈迦の痕跡が多い。「釈迦の足跡」が残されている場所もいくつかある。そのなかでもこの岩は「釈迦の髪の毛が封印されている」という飛び切りの聖跡である。

仏尊もこの道を通ったのであろうか。この地を踏んだのであろうか。あの宿舎に休まれたのであろうか。

あたりの光景に影響を受けたのか、そのようなことを思ってしまう。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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