Singapore
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中国と西洋が混じる古い港町。
時間が中和させたか、その混在が心地よい。

丘からの道を下りると、昨日タクシーを降りた案内所のあたりへ出た。

船着き場を中心に放射線状に狭い道が広がった、昔の港町の光景がいまでもうかがえる。港を背に、中国寺院のあるほうへ歩いていった。マレーシアでは漢字の看板が禁止されていると前にも書いたが、この町ではまったくそんな様子はない。

紙宝を売る店 寺院の周囲には死者への供物を売る店がならんでいた。

紙でできたお札、紙でできた家。死後の暮しを豊かにするためにこのようなものを供えるのであろう。

面白いのは、紙でできた自動車に、紙でできた電化製品。紙でできたコンピュータまである。
黄泉の国でベンチャービジネスができそうだ。

派手なシャツの人は漕ぎ手だろう 自転車屋で輪タクの修理をしていた。マレーシアではトライショーという。

頑固そうなオヤジが、自分の腕には自信があるという表情で仕事をしている。あの自信を奪うものを発展とか成長とかいうのは、間違いだと思う。


放射線状になった道は港に近づくと次第に集束し、一本の橋につながる。その橋はマラッカ川を渡り、貧しい家並みと支配者階級の住んだフォート地区を結んでいる。

中華レストランで遅い朝食を食べた。中華料理屋なのに「American Breakfast」がある。観光地だからというより、中国と西洋が混じりあっているからだろう。マラッカの建物はおおむね立派で重厚だ。中国風の調度のなかでトーストを食べるのもなかなかオツなものである。

金子光晴が通ったという喫茶店も、こんな感じだったのだろうか。


Puriホテルは安いだけに、清潔感はもうひとつだった。身体が痒い。南京虫かなんかいたらしい。私の前にこの部屋に泊まったのは一体どんな連中なのだろう。

マラッカもおおかた見た感じがするし、このホテルにもう一泊する気もしないから、クアラルンプールに行くことにした。タンピンまで戻るより、ここから直接バスで行くほうが簡単だ。

高速バスのターミナルは、ホテルから歩いていける距離にあった。昨日ボートの案内で川から見た場所だ。クアラルンプールまでのバスは6.80RM(242円)である。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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