Singapore
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なぜ軍歌がここにあるのか。
日本とアジアの関係はフクザツだ。

独立記念館に入ると最初に日本語の楽譜が飾ってあった。

天に代りて不義を討つ
忠勇無双のわが兵は
歓呼の声に送られて
今ぞいでたつ父母の国
勝たずば生きて還らじと
誓う心の勇ましさ

これは、、、軍歌「日本陸軍」ではないか。歌詞だけがあるのではない。音符のついた楽譜が飾ってあるのである。なんでマレーシアの独立記念館にこんなものがあるのだ。倒した敵のシンボルか?

不審に思いながら、そこに書かれた英文の説明を読む。

「日本の占領は問題も多かったが、欧米の占領に対するアジアの意識改革をもたらした」とある。「白人によるアジア支配の解放」という理念は現実のものではなかったが、黄色人種が白人を倒すことができるのだという意識変革にはなった、というのである。

アジアの、ある種の親日感覚の基本がここにあるのだろうと思う。


サルタン宮殿から背後の丘に登ると、海が一望できた。陸のほうを見ると同じような建物が並んだ団地を建造中だ。マラッカも歴史の町だけでいるわけにはいかないのだろう。

露店で寝る猫 丘の頂上に、もと礼拝堂だったような石造りの四阿(あずまや)があって、日陰になった石の床に露天商が座っていた。

気持ちよい場所だし、ギターも置いてあったのでちょっと弾きたくなったのだが、無愛想な男できっかけがない。

この男の売り物は安手の土産物で、観光地Tシャツと一緒に昔の紙幣や古銭がざらざらと毛布の上に並べてある。落語「道具屋」のような露店だ。その古い貨幣の間に猫が気持ち良さそうに寝ていた。

海からの風が丘を上ってくる。


マラッカに独立記念館があるわけは、マレーシアの独立運動がここで始まったからである。ここからクアラルンプールまでは高速道路で2時間ほど。首都から適度に離れ、しかも船を使えばスマトラへの逃亡も容易なこの港町は地下活動をするにはもってこいだったろう。

古い港町で独立運動の起点。マラッカは言ってみれば「マレーシアのボストン」である。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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