Sandakan
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酒なき社会に君臨する中国系酒場。
サンダカンの夜に、マレー語の「おもいで酒」は響く。

市場の入り口 サンダカン、といえば「八番娼館」である。なにか当時の痕跡は残っていないのだろうか。

ホテルのフロントに聞く。なんのヒントも得られない。どうもこの国は前ばかり見て昔のことを大事にしていないのではな いか。しょうがないので、とりとめなく町を歩いてみることにする。

タクシーはTEKSIと表示され、食堂にはRESTORANと看板が出ている。微妙にスペルの違う外来語。日本英語も同じようなものか。我々は西欧文化をはんぱに消化したアジアの兄弟である。
レストランと表示のでている店はほとんどドアがなく並んでいる料理から選ぶ定食屋スタイルの店が多い。市場前あたりの店ではビー ルさえ売っていない。夜更けまで男たちが甘いお茶を飲みながらしゃべっている。

サンダカンホテルの坂を下って西のほうに行くと、そこは中国色の濃い一帯だ。みな人前をはばからずビールを 飲んでいる。イスラム文化内の酒解放区だ。
スタイルは、屋台というよりオープンカフェなのだが、もちろんそんなおしゃれなもんじゃない。コンクリートの床/プラスチックの椅子/ビニール貼りのテーブルの3点セットでカー ルスバーグを飲む。夕方から道路を占領して現地の人とビールを飲むのはなかなかオツなものだ。大瓶で8RM(285円)。つまみは平たいエビせんだ。


中国の老人 ここで、中国人の老人と知り合った。
老人は店の奥にどんと居座って若い店員にあれこれ命じている。実はこの店の古い知り合いにすぎないらしいが、その店員があまり親身に世話をするので、はじめは孫かと思った。

「私がはじめてサンダカンに来たのは」と老人が昔話をする。「戦争が終わった直後のことだった。それまでは浙江省にいた」。それからずっとサンダカンに住んでいるんですね。「日本軍はどのあたりにいたのですか?」「私が来たときにはもう日本軍はいなかった」。なるほど。

「もうビールはいいのか。明日また来い」。次の日も行ってじいさんと話したが、もう昔話はしてくれなかった。そのうちに、じじいは「では」と立ち上がるといなくなってしまった。しばらくすると目の前の道でタクシーが警笛を鳴らす。見るとさっきのじいさんではないか。「タクシーの運転手だったのか!」。しかしあの高齢で、しかも酒気帯びで、平然と運転している。私に手を振って、じいさんの車は走り去った。まったく中国人はあなどれない。
これがサンダカンで聞いた唯一の昔話である。


サンダカンの夕景 この一角にはディスコもあって、サンダカンの遊び場所になっているらしい。夜更けにビールを飲んでいると、店 の前で客待ちをしているタクシーで若いカップルが帰って行く。それを見ながらサンダカンのおやじたちは「がは は」とビールを飲みつづける。

そのBGMは「マレー語の演歌」。これまでにアジアの言葉で歌われた安全地帯などは聞いたことがあるが、ここのは演歌だ。マレー語の「おもいで酒」をでかい音で流しながら道路に はみ出してビールを飲む。このようにしてサンダカンの夜は更けていくのであった。


c 1998 Keiichiro Fujiura


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