Ujungpandang
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出発の前日になって、はじめて気付いた。
ここはウジュンパンダンじゃない!

日曜日の朝になった。出発は翌日だ。このホテルの朝食はトーストとお茶である。毎朝、コーヒーカップにパンを重ねその上にお皿を乗せたものが廊下に置いてある。それにすぐ気が付けば生暖かいお茶が飲めるが、ちょっと取り遅れるとハエがたかっている。部屋の中まで持って来るのではなく、ドアの外の通路に置いていくのである。


散歩に出ると、人が大勢同じ方向に歩いていた。行き先は教会だ。正装をしている。その教会はカトリックであった。すぐ裏のムスクはいまは静かだ。讃美歌とコーランは時間がずれているらしい。ホテルの廊下の端にもイスラムの礼拝堂があるしこのあたりはムスリム主流かと思ったが、キリスト教会に集まる人も多い。


市場の唐辛子店 行ったことのない方角へ歩いてみる。昨日まで静かだった道が今日は騒がしい。馬車が何台もいて交通量も多い。日曜だからか、市が立っているようだ。

市場と言っても普通の道のあちこちに茣蓙をしいただけの店。竹笠をかぶった農家の人が唐辛子を売っている。いままでに見た市のなかでも貧しいほうだが、ここの米はうまそうだ。そういえばマレーシアのご飯はぱらぱらしていたが、この町のご飯はふっくらしていてうまい。

米、香辛料、カラフルな衣料のがちゃがちゃした間を歩くのは楽しい。思いがけず遠くまで歩くと、急にひらけた場所に出た。地名を書いた看板が並んでいる。どうやら長距離バスの発着所らしい。バスといってもみんな私営で、乗れるだけ詰め込んでその町まで走るというやつだろう。こんなところにあるとは知らなかった。


不思議なことに気が付いた。「ウジュンパンダン行きのバス」がある。

どういうことだ。ここがウジュンパンダンではないのか?太った姉さんが小屋から出てきて「あんたどこまで行くんだい?」という様子で話し掛けてきた。ちょっと聞いてみたが、言葉は全然通じない。もし通じたとしても、そのときの私の当惑は理解できなかっただろう。

こことは別にウジュンパンダンがあるのか?では、ここはどこなのだ?


このバスの発着所で見る限り、ここはPALUという場所らしい。まったく目眩を起こすような気分であった。この町に着いて以来ずっと「これがウジュンパンダンだ」と思い込んでいたのに。

そのうえ朝の散歩だったので財布も持っていない。このままではバスに乗る金もない。いったんホテルに帰ることにした。


部屋に帰って、ホテルやレストランの伝票に書いてある地名を調べると皆「PALU」となっている。なんとなくPALUという文字をよく見ることは気付いていたが、ここはPALU(パル)という町だったのだ!

ちょうど成田と東京のように、ウジュンパンダン空港はパルという別の町にあったものらしい。近くに港がないはずだ、私は別の町に滞在していたのである。しかしどうする?飛行機は明日出発だ。今晩だけでもウジュンパンダンを探しに行くか?


カメラを持ってもういちど行ったら、バスは出発してしまっていた。朝のひとときのことらしい。私はウジュンパンダンに行くことを断念した。このあたりを理解するだけで数日かかった。もう飛行機は予約してある。バスはみんな朝のうちに出て行ってしまった。まったく言葉が通じないこの環境で明日までに別の町に行って、また帰って飛行機の時間に間に合わせるのはリスクが大きすぎる。

残念ではある。しかし、ガイドブックも持たない旅では、このくらいの失敗はしかたないこととしなければなるまい。すぐそばを通りながら見忘れるというのは口惜しいが、ウジュンパンダンの港は断念して、私は最後の一日でパルの町をもう少し歩き回ることにした。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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