Yangon
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英語がまったく通じず、乾燥した町。
男たちは腰巻で町を闊歩する。

ホテルから町へ歩いてみた。陽射しが強く、空気は乾燥している。片道二車線もある立派な道路だ。自動車専用道路ではないのだが、人は歩いていない。せいぜい自転車である。暑さのせいもあるだろう。歩いているだけで目眩(めまい)がしてくる。

鉄道線路を越える大きな橋を渡るまではろくな建物もなかった。その先は繁華街らしい。

ロンジーを履く男たち 男たちがロンジー(腰巻)を着けているだけで、これほど風景が違って見えるものか。「田舎」というより「未開」という感じがする。見慣れた東南アジアとは違う光景だ。

私がインドに行ったことがあれば、もう少し違う受け取りかたをするのかもしれない。


しかもまったく英語が通じない。かたことの単語もダメだ。

看板などにはけっこう英語も使ってあるのだが、どこの店にも実際に話ができる人はいない。

ロンジーで運転 足で踏む臼で砂糖黍(さとうきび)を絞っているジュース売りの店があった。砂糖黍には黒蝿がびっしりたかっている。

これはなんだろう。まさかラム酒を作っているのではあるまいなとしばらく見ていたが、どうやらその砂糖黍の汁を買って飲むらしい。

目の前で蝿がたかっているのだがあまり気にしている様子もない。


裏町に中華料理屋があった。入ると、若者ふたりがもの珍しそうに寄ってきた。手まねで食事をしたいと伝える。タイガービールと、酢豚のような野菜炒めを食べる。人参も入っていて、ひさしぶりに野菜を取った気分だ。

400K。1チャットが1/220$とすると、これでだいたい200円である。

街角の少年僧 下町にギターを作っている店があった。手作りのギターは塗装にもムラがあり、なによりもサスティンが短い。三味線のようなペンペンした音だ。

もともとギターはこうしたものなのだと思う。こういうギターでカントリーブルースをやると古びた、いい味が出るかもしれない。

エレキギターは輸入品だった。木の加工はできるのだろうが、電気を使ったパーツが作れないのだろう。

輸入するくらいだから英語が通じるかもしれない。「ライブハウスはないか」と聞いてみた。片言の会話は通じたが「バンドの演奏を聞けるような場所はない」という返事である。ではこのギターは誰が弾くのだろう。


町中のパゴダ
広い通りに出ると、石造りの町に突然パゴダがあった。

東京の通りを歩いていると突然寺社が現われるのに似た印象だ。道はパゴダを迂回してロータリーのようになっており、周りには線香屋が軒を並べて小さな門前町になっている。

HOLIDAY INNという名前の小さなホテルがあったので試しに入ってみる。どうやら有名ホテルに名前だけあやかっているらしい。フロントも汚い、安っぽいホテルだった。

ミャンマーの首都にはまだ大型ホテルが進出してくるほどの価値がないのか、地元資本を保護しているのか、国際ホテルチェーンの姿はどこにもない。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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