YogYakarta
次へ


ヤマモリさん一行と合流し、
ジャワ島珍道中がはじまる。

8時半にWASHILANがやってきた。きのうと同じ三菱コルトだ。バティックを送るためにソロの郵便局に寄ってもらう。

すごく、すごく非効率的で、タライ回しにされたり、普通でいいというのにexpressになったりして、関税を払って発送処理するのにひどく時間を取られてしまった。郵送費に27万rp(3,834円)払う。

ジョグジャカルタに入って ジョグジャカルタまでのドライブは快適だった。並木の続く古い街道を走っていく。途中でアヒルの列に道をふさがれて車がみんな停められるなどということもあって、絵に描いたような田舎のドライブである。

すいすい走ってきたがジョグジャカルタの市街に入って渋滞する。待ち合わせのMelia Purosaniホテルに着いたら、WASHILANに1時間の延長料金を請求された。郵便局がもたもたしたせいだ。


白いシャツがヲサム君 ロビーに着くと、ヤマモリさんが待っていた。一緒にカメラマンのダイトウさん夫妻、それにひょろっとした青年がいる。

ダイトウ夫妻に挨拶した後その青年に「はじめまして」と言うと、
「はじめまして じゃないですよ」。
え? ああ、ヤマモリさんの甥のヲサム君ではないか。

ヲサム君とは変な縁で、彼が私の会社の入社試験を受けたいというので話をしたことがある。彼は生物学科の大学院にいて、いま流行の仕事だしいくらでも職はありそうなのに広告屋になろうなどというのであった。

幸か不幸か「弊社」では合格せず、えびせんで有名な食品会社に採用された。入社前の空白期間を利用して叔父さんの撮影旅行に助手としてもぐりこんだという。

左からドンさん、私、ヤマモリさん、ダイトウ夫妻 一行のもうひとりのメンバーはガイドのドンさんである。

この人ドン・ハスマンさんは一見年配に見えるし小柄だが実に壮健な人。きびきびした動きで愛敬があって、気働き。およそ不可能ということがない。どんなものでも調達してくる人である。職業は「冒険家」ということだが、新聞や雑誌の記事も書いているインテリだ。そのときは会ったばかりなのでわからなかったが、バドゥイと話のできる希有な人なのであった。


Melia Purosaniは高そうなホテルなので、とりあえず自分の泊まるところを確保しなければならない。

そういうとドンさんは「私の部屋は二人部屋だから一緒に泊まろう」と言い出した。それは安くていいんだけど、なにしろこれまで一人旅だから、知らない人と急に同じ部屋というのがどうも気乗りしない。結局、彼が泊まっているPhoenixホテルで別にシングルを取ることにした。



c 1998 Keiichiro Fujiura


TOP PAGE表紙へ
GO MAPマップへ
GO PREVIOUS前へ
GO NEXT次へ