YogYakarta
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ボロブドゥールで驟雨に襲われ
世界遺跡を眺めながら碁を打つ。

昼間のボロブドゥール ボロブドゥールは案外淡白に、開けた丘の上に立っていた。

「私がはじめて来たときには」と言うヤマモリさんの話では、そのころは
「ジャングルの中に遺跡が忽然と現われるような場所だった」。
それは感動的だろうな、と思う。いまではすっかり整地されていて周りは公園のようになっている。


遺跡で遊ぶ少女たち 遺跡近くに管理事務所がある。そこにクルマを停めて、まずはおおまかな下見をする。大遺跡のわりに観光客はあまり多くない。地元の女の子が遊んでいたので遺跡をバックに写真を撮ったりする。

ボロブドゥールの壁面レリーフは一枚一枚表情が違っていて見飽きることがない。仏像らしいが頭部がない彫像も多い。顔だけ持って行かれてしまうのだろう。

まわりは森で、水分が多いのか空の色に微妙な色合いがある。いや、雨が近いのだ。遠くで雷が鳴っている。こんな剥き出しの場所でスコールに逢ってはたまらない。少しばかりいた観光客もばらばらといなくなってしまった。

雨が落ちてきたかと思うと急に強くなる。私たちは管理事務所に入った。ドンさんが係員となにか話している。特別許可の交渉をしているのだ。



ボロブドゥールの壁彫
このチームはふたつの意味で特権があった。

ひとつはインドネシアの写真集を出版するための撮影だということだ。幸い、ヤマモリさんとダイトウさんはすでにインドの写真集を出しているので、それを見せると係員は納得する。「おお美しい本だ。このインドネシア版を作るのだな」「そうだ」「わかった。協力しよう」てなもんである。

もうひとつは、その出版の母体になっているのが公的なアジア交流団体だということだ。ヤマモリさんはそこの役員である。観光だけではなくアジアの文化交流の実績もあるし、政府高官とのつきあいもある。これはアジアではかなりの切り札だ。

それに加えてドンさんの人脈と交渉力がある。およそ不可能ということがないのだった。


首のない仏像
ドンさんが交渉しているのは翌日の早朝撮影の許可である。ボロブドールはほぼ夜明けから日没までしか公開していない。遺跡に登るには4つの階段があるが、夜間はその門に鍵がかかっている。たぶん盗難を恐れているのだろう。なにしろ魅力的な仏像や色っぽいリリーフがごろごろしているのだから、夜中くらいは閉めておかないと危なくてしょうがない。

交渉といってもなごやかなもので、係員もにこにこしている。問題ないらしい。ドンさんはクルマの中からお菓子を持ってきて係員に渡したりしている。係員もお茶を出してくれたりして、和気あいあいとした雨宿りになった。


するとヤマモリさんが「一局打ちますか」とにこにこしている。「あるんですか?」「ありますとも」とクルマに行って碁盤と碁石を持ってきた。携帯用の磁石盤だ。

世界遺跡を借景にしての対局だ。豪気なものである。


ボロブドゥールの壁彫
もともとヤマモリさんとのお付き合いは囲碁から始まった。数年前に囲碁の勉強会のために場所をお借りしたのがきっかけだが、いまも稲葉禄子さんを先生とする「碁禄会」という会を開いていて、私はそこのメンバー、ヤマモリさんはその会でいちばん強い、いわば塾頭である。

とにかく強い。アマ六段くらいだろうか。手合割では私が二子置く計算になるのだが、このときまで一度も勝ったことがなかった。

ところがこのボロブドゥール対局で、私は初めてヤマモリさんに勝ったのである。旅の途中では一度も打っていないのにどういうことなのだろう。休みを取って精神的に安定したのだろうか。日本に入ってもしばらくはこの「精神的に落ち着いて好調」という状態が続いたのだが、しばらくしたら消えてしまった。私の囲碁について言う限り、仕事から離れていると調子がいいらしい。

ボロブドゥールで碁を打つ ボロブドゥールの係員の顔に好奇心が浮かんだ。珍しそうにちらちら眺めている。そのうち近づいてきて、しばらく盤面を見つめたあげく「さっぱりわからん」と苦笑いする。

「どっちが勝っているんだ?」

ヤマモリさんは渋い顔で「あっち」という顔をしている。いい気分である。


遺跡で遊ぶ少女たち 2局打って1勝1敗だった。その間に雨もあがった。毎日夕方になるとスコールが降るらしい。途中から他のスタッフはロケハンに行っていたが、もう陽光もあまりない。今日はこれで終了だ。帰路、夕焼けが美しい。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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