ヲサム旅日記

2日目 その2






サラタビUSA
4-2:

タクシーはホテルからおおよそ南南西に向かって走る。ダウンタウンを離れると、もはやここがどこだかさっぱりわからなくなる。ハイウェイにのって、約20分。途中、シカゴホワイトソックスの本拠地の野球場が横手に見えた。
ほどなくして、ハイウェイを降り、市街地に。車が止まる。運転手はここだという。示された場所を見るとちょっとした建物があった。
郊外のチャーチ
タクシーを降りると、そこは物静かな住宅街という感じ。そばにいた、駐車場係らしいおっちゃん(黒人)が入り口は向こうだと教えてくれた。言われたとおりに入り口に向かうと、そこには黒人の人だかり。正直、ビビッた。
でも、周りの人は明らかに異国人である我々をみても、普段と同じような振舞いをしている。じろじろ「あんた達誰?」ってな顔は全くしていなかった。不思議なものだ。こんな小さな(?)町には日本人は滅多にいないだろう(勝手な想像だが)。カミサマの前ではそんなことはちっぽけなものなのだろうか?

招き入れられた教会で、長いすに座る。周りは全て黒人。教会の方は握手をして、「よく来てくれた」と優しくしてくれる。そんなことされると正直、異教徒の自分がこの場にいることが非常に心苦しくなってくる・・。それと周りは皆馴染み同士の黒人ばかり。心苦しいと共に何となく緊張もしてきた。この雰囲気を写真で紹介できないのが残念だが、なんとも言えぬプレッシャーが体を包みこむ。

ちなみにボクは知らなかったのだが、今回訪れたのはバプティスト系=キリスト教プロテスタントの一派の教会。1963年にアメリカに伝導され、幼児の洗礼を認めず、自分の意志で信者になることを説いている。現在アメリカでもっとも力のある宗派として、南部に浸透し黒人運動の精神的支柱となっている、と調べるとそう載っていた。
そんな事も知らずにノコノコと訪れた自分が恥ずかしくなる。ゴスペルは黒人バプティスト教会で見られるのである。


しばらくすると、教会で働く人々の話から始まり、牧師の説教へと続く。熱い。トークが熱すぎる。そして周りも・・・。それとともに何故かボクの緊張が高まる。牧師の説教は早口でほとんどわからなかったが、「皆は家族だ!!」とか「教会へ来よう!!」といったことは聞き取れた。家族なのである。一体感。そしてなんともいえぬパワーが辺りに充満している。興味の対象であったゴスペルも始まるが、これもまたパワフル。ちょっとしたライブである。
歳をとったちょっと太目のおばちゃんなんかもノリノリである。皆、スタンディングで歌っている。勿論、教会という事もあり、写真なんて撮れる状況ではなかったので、どういう状況だかは伝えきれないのが本当に残念である。

フジウラさん、ダイスケ君も立ち、歌い始めた。ボクは立たずに聞くのみであった。後でフジウラさんに「早くここを出たいから動かないかと思った」と言われたのだが、そうではなく、この雰囲気、熱気に圧倒されたのである。固まって立てなかったというのが本音である。牧師の説教とこのゴスペル、信者の熱狂に完全に固まった。カミサマの力はスゴイ・・・・。
説教の合間に周囲の人々とハグする場面があったのだが、周りにいるおばちゃん達は見た事もない我々であっても、笑顔でハグしてくれる。「Bless You!!」。ものすごく暖かい気分になる。最後の最後までハグ、握手、笑顔で見送ってくれた・・・・。

本場のゴスペルを見に行く、単にそれだけ、だと思っていた。でも、その行為がこんなに重いものになろうとは思ってもみなかった。異国(まぁ異国は関係ないだろうが)のそして異教徒のボク等が、この教会に訪れ、その説教に参加する事で、自分自身がものすごく悪い事をしている様な気がした。うそをついているみたいだから。
そこで、自分がその宗教に改宗すればいいのであろうが、そこまではしない。だから、すごく罪悪感でいっぱいだった。教会の熱気とその罪悪感。ただ、わけもわからずその場にいただけなのに重-い気分になった。ハグや笑顔で暖かい気分になった一方でものずごく重くなる。その暖かい気分を味わったからこそ、その重さも身にしみる。
挙句の果てには、ダウンタウンには教会バス(無料)で送っていってくれるという。そのバスには信者のおばちゃんも何人かいた。やっぱり彼女達もやさしく歓迎してくれた。はぁー





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