ふじうら旅日記

3日目 その1






早めに目が醒めたのでホテルのまわりを散歩する。曇天だ。まわりにとくに見るべきものもないが、小さな小屋のような建物でもちゃんと装飾が施されているのには感心する。「細部に神が宿る」文化なのかな。

草花は日本に似ているようだ。ホウセンカ、コスモス、秋の草花が咲いている。厳密に見れば異なるのかもしれないが、私などの目には日本のものと同じように見える。穏やかな色彩だ。

ホテルの前庭に戻ったら人影がある。「おはようございます」。五人組のうちのお二人、コバヤシ夫妻だ。今日の予定を聞くとタクツァン僧院を見に登るのだという。うーむ。天気があんまり良くないですねえ。せめて雨が降らないといいのですが。

ブータンのギター
まだ朝食までは時間がある。フロントの後ろに珍しい楽器があったので見せてもらう。細身のギターのような5弦の楽器だ。

ひまそうにフロントに立っていた男が「こうやって弾くんだ」と弾いて見せてくれた。ヘッドにはさんであるごく小さなピックを使う。

音量はないが、さやさやとした心地好い音色だ。

ギターでは糸巻のある部分を「ヘッド」という。この楽器のヘッドには美しい龍の装飾が施されていた。

特別に念入りに作られた美術品という感じではない。扱いかたを見ても楽器自体はたぶん普及品なのだと思うが、これだけの丁寧な仕事がしてある。ほんとうに細部に神の宿る国だと思う。
美しいヘッド
隣室の白人は8時前にはバックパックを担いで出ていった。健康そのものである。

朝食はトーストとスクランブルエッグ。コーヒーはネスカフェなのだが、案外と美味しい。スクランブルエッグはとても軽くできている。きっとバターが良質なのだろう。

パロ川沿いに下ってウォンデュポダンへ。
途中の道はまるで西遊記のような景色である。

9時出発。まずパロのドゥック航空の事務所をのぞいてみたのだが、やはり休みらしい。リコンファームはティンプーに行ってから、ということになった。事務所の近くに耕運機があり、農民らしい人たちもそのまわりにいる。稲穂はもう重く垂れているように見えるのだが、刈り入れはもう少し先らしい。

進路はパロ川沿い。カルマはさっそく解説をはじめる。
「右手の高台にあるのは、王立種子研究所です」
「ブータンのサカタのタネだな」
というとヲサム君に受けた。 彼は生物学部出身なので、こういう冗談はヒットしやすい。

パロ川に橋はほとんどかかっていない。クルマが渡れるほどの橋は数本しかなくて、その橋のたもとに小さな商店があってBridge View Restaurantなどと看板が出ていたりする。案外発展しているが、客は誰なのだろう。長距離トラックが多いから、彼らが客なのだろうか。

道路はおおむねよく整備されている。「この貧しい国に、これだけの舗装路が」と感心するほどのレベルだ。

途中でにわかに道が悪くなりコールタールの匂いが漂ってきた。薪を燃やしてタールを溶かしている。人が肩にもっこを下げて砂利を運んでいる。女たちがローラーのまわりを手箒で掃いている。きわめて原始的な作業で、舗装道路を作っていた。

「インド人です」とカルマはいう。
出稼ぎか。国内に住みついているのか。いずれにせよ最低賃金の肉体労働に違いない。

川はうねうねと渓谷を造り、道路は崖にへばりついている。低地では、この光景は球磨川をさかのぼるのに似ていたが、山と川の高さが開くにつれ玄妙な姿に変わってきた。

「蜀の桟道」というものを思い出す。このような懸崖に軍馬を通すため棚のような道路を架けたというが、これに似た地形だったのだろうか。蜀というのは現在の成都のあたり、中国の最西部にあたる。我々は反対側から蜀の方向へ向かっているとも言える。

遠山高く白雲がたなびき、山頂は雲に隠れる。その景色を背景に中国風の寺が見えた。

西遊記のような寺
「すごいなあ。チベットに来たようですね」
「あれはまるで西遊記の寺だなあ」

立ち寄ると美女に化けた悪鬼が出てきそうな寺が、対岸の山の中腹にそびえていた。カルマの解説によるとチベットからやってきて多くの橋を架けた僧が作った寺院だという。指差すところを見ると急流に細い吊り橋が架かっていた。 「あれは当時のものではなく架け替えたものですが」

寺院の周りを包む淡い緑地は唐辛子畑だそうな。

ときおり現れる農家では、屋根一杯赤くなるほど秋の日に唐辛子を干している。

パロ川を下っていくと、やがてティンプー川との合流点に着いた。合流した川はインドに向かい、ティンプー川を遡れば首都ティンプーへの道である。ここは交通の拠点らしく、検問があった。国境のような車止めの横棒もあるのだが、今日は上げたままになっている。クルマを停めて、覗き込んでくる役人に簡単な応対をすればそれで完了だ。

川の合流点には三つの寺院が建てられていた。ひとつの寺院では済まないのは宗教の複雑さによるものだろうか。

あたりの建物にもチベット、インド、ネパール、中国の影響が混在しているように思われる。

パロ川とティンプー川の合流点
パロはチベット側につながる道だが、ここはインドにつながる街道である。物資を運ぶトラックの姿も多い。長距離トラックはみんなライトの上にさらに「眼」を描いている。





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