ふじうら旅日記

5日目 その2






カルマたちが戻ってきたのでティンプー見物に出発する。近くの橋が工事中なので川沿いの道を遡り、上流の橋で川を渡る。工事のためか狭い道にかなりの交通量で、ちょっと危ない。

橋を渡ると美しい並木道。「ここは日曜日には市が立つところです」。ホテルが対岸の正面に見える辺りまで戻ると「ここはサッカー場です」。ああ、そういえばブータンはワールドカップに参加していて、それは映画「ザ・カップ」のテーマでもあるのだった。

町の中心地でクルマを停めた。そこはメインストリートと川の間で高台になっている。ミンジュが坂の下を見下ろしている。「ここはアーチェリー場」。矢を射る人の姿が小さく見えた。アーチェリーはブータンの国技である。

シャッターを下ろしている店が多い。「今日は水曜なので通りの川側の店は休みです」。そのせいか少し淋しげな通りだ。ビルの窓を指指してミンジュがいう。「ここはうまいレストランだけど」「だけど?」「不潔だから皿のなかに蛾が入っているかもね」「蛾?」それはいい。そういうところで食べたいなあ。

エトメトの本社はほぼメインストリートの中央にある。隣はティンプーにひとつしかない映画館だ。

あたりを歩く人たちはブータンでいちばん進んだ人たちらしく、携帯電話を持っている人さえいる。もっとも相当に大きなものであったが。女性も短髪ではなく長い髪の人がときおり歩いている。

ティンプーの映画館

首都ティンプーの町を早く歩きたい。のだが、
「観光ルーチン」に従って引っ張りまわされる。

首都ティンプーのメインストリートを目の前にして私はその通りや商店や人々の暮しの様子に興味津々で、一刻も早く町に潜り込みたいのだが、カルマには別のプランがあるらしく淡淡とティンプーの山側に向かった。後になって思えばこれがつまりティンプーの「観光コース」なのらしい。

まずはティンプーを見下ろす崖の上に建つ古い寺院を訪ねる。カルマが説明してくれるが何度聞いてもその僧の名前を覚えられない。文字で見なければ記憶できないのかな。「その僧は山を越えてティンプーに来ました。そしてこの寺を作りました」程度の話にしか理解できない。これではオトギバナシのレベルである。「その僧が〇〇に出会ったのが先ほどの橋なのです」。ふーん、、、、

寺院からティンプー市街まではいくつもの道があるが、そのひとつにコスモスの群れ咲く小道があった。ブータン人の若いカップルが私たちの視線を気にしながらその小道へ降りておくところだった。「この道はティンプーのデートコースです」。

さらに高く、テレビ塔と送電装置のある山頂に向かった。そこまでの道は郊外の大学キャンパスかゴルフ場のような景色である。山頂からティンプーの町を見下ろす。

白人グループが軽いトレッキングに来ている。まず山上までバスで来て、そこから下まで歩くのらしい。彼らのバスは山の中腹で待っている。

その待っているあたりに動物園があった。動物園といっても塀や門があるわけではなく、道の近くの土地が大きく柵で囲ってあるだけだ。入口がないから入場料もない。

珍獣 ターキン
そこに「ターキン」がいた。

鹿と牛を混ぜたような珍獣である。餌付けができているようで柵の外の枝をちぎって柵の間に入れると近くに寄って来る。丈夫な歯でバリバリ音をさせながら葉や枝を食べる。生物シュレッダーのようだ。

可愛いというには大きすぎるが珍しいものを見たという気には充分なった。

山伝いに尼僧の修道院などを訪れて、ようやく市街地に戻った。川に平行して小さなメインストリートが走っている。ティンプーには信号がなく、通りの真中に丸い建物があってその中で警官が交通整理をしている。「ミンジュもあれやったことあるの」「ある」「いまは?」「いまはやってない」「なんで」「オレがやると渋滞が起こる」。

不真面目そうだからなあ、きっと若い女性のほうばかり見てたんだろう。



次に行ったのは王立図書館である。1階には外国がブータンを紹介した本などがあり割合普通の図書館の感じ。日本語が目に留まったので見てみると福岡の雑誌だった。ブータンの舞踏団が福岡を訪れたときの記事らしい。しかし2階3階へあがると仏教図書館である。お経の巻物が並んでおりしかも(どれがどれだかよくわからないけど)ゾンカ語とかチベット語で書かれている。「三蔵法師、天竺へお経を求めに行く」という世界であった。

ここでトイレを借りようと思い、図書館の司書らしき人に場所を聞くと「外だ」という。ところが見当たらない。おかしいなあと探したが見つからない。そこへ学校帰りの子供が通りかかった。カルマが話をつけてくれて、近くの農家に借りることになった。

農家の人たちは裏庭で日向ぼっこをしているような様子だった。お婆さん、その孫らしい中学生くらいの女の子、中年の男だ。子供が突然外国人を連れてきたので農家の人は一瞬アセったようだったが、カルマが事情を説明するとどうぞどうぞと道を開けてくれた。

粗末な木戸を開けて、納屋のような小屋に入った。板の割れ目から光が漏れている。部屋の隅が少し高くなっており、そこに四角い穴が開いている。そこがトイレだなと見当がついたが、不思議なことに穴の中が明るい。普通は暗いもんじゃないのかと覗きこむと穴の下に少し水が流れている。単に小川の上にまたがっているだけなので、明るいのも当然のことなのであった。

ここは物置にもなっているようで段ボールの箱なども積んである。そのなかにアップルのプリンタの箱があった。なんだか場違いな感じでおかしい。

もちろん紙などはない。大きなポリバケツに水が溜めてあり柄杓が置いてあった。

農家の便所
済ませて出てくると先ほどの男の姿はなく、お婆さんは孫を膝に乗せて頭をいじっていた。髪の毛を少しづつ分けて細い棒でなにかを掻き出すようにしている。どうもこれは虱(シラミ)を取っているようだ。中学二年生くらいの女の子で、日本なら朝シャンを毎日やっている年頃だが、髪の毛の根元には細かくフケがついている。

首都ティンプーでメインストリートから数キロしか離れていない場所でも、いまだにこんな感じなのだなあ。近代化が均一には来ないことをこの光景を見て思った。

図書館を発つ頃には午後も半ばだった。これからティンプーの商店をひやかすためには現地通貨ニュルタムを持っていなければならない。ワンデュポダンのときのような間抜けな両替はしたくないのでどこか銀行に行ってもらうことにした。

行ったのは立派な建物で「さすが中央銀行」という感じだったが、窓口に両替を頼むと「今日はもう終り」という。3時を少し過ぎてしまったらしい。しかたないのでレートだけでも聞いておく。「1ドル=47.10ニュルタムです」。リバーヴューホテルのフロントで聞いたレートは44.40だった。ガイドブックには「ホテルでも銀行でも両替率は同じ」と記載されていたが実際にはそうでもない。

銀行の隣りが郵便局だったので切手を少し買う。記念切手のコーナーには外国客が殺到していた。切手はブータンの外貨獲得施策のひとつである。係員は非常にアバウトで紙幣は段ボール箱から出し入れしているし、お釣りは適当に四捨五入というやりかただった。ブータン人は一体に計算が苦手なのでこれだけの客をさばくのは処理能力を超えるように見える。





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