ふじうら旅日記

5日目 その3






ようやくティンプーの町を歩く。
ん?なんだか異常に物価が高いぞ。

ティンプー観光コースも完了して町に帰ってきた。なんだか皆疲れているようなので「後は自由行動。6時半にエトメト前で集合」ということにした。私たちも自由行動、カルマもミンジュも自由行動というわけだ。 ところがヲサム君がなんだか疲れていて「二時間もあるのか、、お茶するところもないですしね」なんて言っている。朝は「今日は買い物!」と言っていたのだが、観光コースをなぞっている間に萎えてしまったらしい。

それでもスイスベーカリーの近くのPEDLINGホテルでトイレを借りたり、向かいの民芸品センターで土産物を物色したりしているうちに少しづつ元気になってきた。

両替はこのPEDLINGホテルでおこなった。インド人らしい経営者の手がすくまで待たされたがレートはきっちり47.10。正確には「47」というのを「47.10だろ」と確認したら相手がそれを認めたのである。あらかじめレートを調べておいてそれを主張するのがコツと見える。

それを持って民芸品センターを覗いたのだが、ありゃりゃ、値札はみんなドルで書いてある。両替する必要はなかったのか?いや、それにしても高いなあ、こりゃ。ちょっとした細工物に200ドルなんて平気で書いてある。草木染のネクタイが70ドル。確かに手作りだけどそれは工場が発達してないからだろう。一人当り年間GDPが1000ドルという経済でこの価格はひどすぎる。外国人観光客をナメているなあ。

そのかわり、といってはなんだが、この町には物売りやたかりはいない。乞食はいるのだが、私たちではなく店の人にねだっていた。知っている「アジアの常識」とはなんだか少しズレている。

もっと安い店を探してメインストリートを南(川下方向)へ歩く。この通りはノルジェラム通りというのらしい。

サイバーカフェの看板があったので「いくら?」「1分3ニュルタムです」試してみることにする。ふじうら.こむを開いてみるとちゃんと日本語が表示される。カフェの主人にブータン国王の写真が自分のページにあることなどを見せる。アメリカに大きな動きがないことは確認したが、ヤクルトが優勝したかどうかは調べ忘れた。しまった。

メインストリートは車が通るので人は店の前の歩道を通る。石造りの道だが段差が多く歩きにくい。「バリアフリーにしてくれえ」と泣き言をいうがヲサム君は「ブータンにバリアフリーなし」などと冷たいことを言う。

ブータンでトニックウォーター発見
のどが乾いたので食料品店に入り冷蔵庫の中を見せてもらう。なんと!トニックウォーターがある。40ニュルタム。インド文字が書いてあった。

すぐ前の公園に入り樹下のベンチに座ってトニックウォーターを飲んでいると周囲と調和する気分だ。
しかし、こうやって買い物をしてみるとニュルタムというのは日本円より高い通貨なのである。1ドル=47.10だから、ドル120円として1ニュルタム=2.54円ということになる。なんだか気に入らない。

とりあえずこのトニックウォーターは100円ということか。

生地屋があった。キラの下に着る女性用のブラウスなども売っているので祭りを前にして最後の買い物で賑わっている。アジアンインテリアに使えそうな生地を少し土産用に買う。生地は軽いし畳めば小さくなるから土産には絶好だ。

店の入口にダルシン用の経文布が積んであった。これは外に置くものだから布も粗末だし簡易印刷で、この店でも最安価な商品である。しかしなかなか味わいがある。だいたい1メートルくらいを単位に同じ模様が繰り返している。買うときは絵一枚でいくらいくらという値段になっている。

「これをまとめて買って1枚ずつ切って土産にするのもいいな」
「そんなケチくさい」
と、その場ではヲサム君はそう言っていたのだが、夜になってホテルで冷静に土産物の分配チェックなどを始めると「これ(経文布)1枚づつに切ってもらえばよかったな」などと言っていた。誰がケチくさいんだよー、まったく!

「待ち合わせはエトメト前」と決めていたのだが、道を歩いていると自然にカルマとミンジュに会ってしまう。メインストリートは一本しかないので出会うのは簡単だ。

見ると「BHUTAN 3」というナンバーの高級車が駐車している。「王家の一族」のものらしい。そういえばVIPが通るというのでパトカーが先導しているのも見かけた。さすが王都である。

通りの両側の店は地元店なので観光客用の土産物店ほど高くはないが、それでも他のアジアの国に比べると物価は高い。

貨幣経済が発達したのがここ数十年のことでそれまではどの家庭も自給自足だったというから、まだまだ不安定なのかもしれない。

外国ブランドがディスプレイの中で大きく扱われているが、あやしげなフェイク品も多い。例えばこれはプレイステーションブランドのバックパックである。しかもUSA。

PLAY STATION BAG
王よ長命なれ
電飾看板も多く、賑わっている様子。

時折その中に王家への尊敬の念も見える。普通の商店の前に「我らが王よ長命なれ」というネオンサインが飾ってあったりする。

暗くなってきた。裏町に入ると男たちがおはじきとビリヤードと混ぜたようなボードゲームをやっていた。コーナーに4つのポケットがあり、自分の駒をはじいてポケットに相手の駒を落とすのである。男の子たちはまだ仲間にいれてもらえず周りを取り囲んで見ている。

「やってみるか?」というニュアンスがあって、ホントにやってみたかったのだがもう待ち合わせの時間が近い。残念。

おはじきビリヤード

またも観光客用の味。
だんだんイヤになってきた。

夕食はPALM'S CAFE。「今日は辛いやつを」と注文していたのだが、やはり辛さが足りない。周りの客も外国人ばかりだ。昼間の「蛾の入っている店」はどうしたんだ?と聞くと「予約が取れなかった」という。話を聞く限りでは現地の汚い店らしい。明日は必ず現地の人の来る店を、と再度念を押す。

子供も夜遊び
ミンジュはティンプー市内に新婚の妻を残してこの旅に来ている。カルマもガールフレンドがいるらしくなんだか幸せそうだ。さきほどの「自由時間」に今夜の約束をしてきたんじゃないかあ、という感じ。なんだかニヤけている。私たちは野郎二人で同室。馬鹿馬鹿しくなってきた。今日は二人を早く帰してやることにする。

別れの言葉はもちろん「ハブ ア ナイス チュチュ!」



ガイドの中には
ずいぶんヒドイのもいるらしい。

部屋でくつろいでいたら電話が鳴った。出るとオオヒラさんからでいまロビーにいるという。
「どうしたんですか?」
「リンゴがたくさんあるのでもらってくれませんか」
「リンゴ?」
「ええ」
「ともかく行きます」

コバヤシ夫妻も誘ってロビーに降りる。聞くと、くだんの日本語が話せるガイドの家に行ったのだが「来客にはリンゴを贈る習慣だから」とどっさり渡されたというのだ。
「だって、明日日本に帰るって知ってるんでしょう?」
「そうなんですけど」
どうもこのガイドのセンスがわからない。

とはいえ五人組が揃ったのでロビーで旅の話をする。みんな勤めているので「どうやって休みを取ったか」という話が発端になる。
「なかなか休み取れないですよねー」
会社と休みと旅の調整はそれぞれ大変そうだ。

「もう今年の有休全部使っちゃったんですよ」とコバヤシ夫人は笑っている。
「でももう次の旅行の予定は決まってるんです」

その後ブータンの旅話になった。
「ガイド付きの旅はどうも慣れなくて、かえって不満がたまりますよねー」

聞くところによるとガイドの中には山登りの予定なのにパンプスで来るような人もいるらしい。

勝手に「今日は天気が悪いから登っても見えない」などと決めてしまうのだが、実は他のグループはちゃんと登ってちゃんと見ることができていた、とか。
また聞くところによるとティンプーの町に客をほっといて「次の準備があるから」と事務所に帰ってしまうようなガイドもいるらしい。その客が英語が得意でないから日本語が話せるガイドを頼んだのにもかかわらずである、とか。
またまた聞くところによるとリコンファームもちゃんとやってくれないので客は不安になったとか。
マイノウミがくれた時計や他の外国客から貰ったウォークマンが自慢であるとか。
どうも、世の中には、あまり評判のよくないガイドがいるのであった。

オオヒラさんはタクツァン僧院を見るのを楽しみにしていたのに初日に登れなかったそうだ。
「皆さん登られたんだそうですねー」
「ええ、ちゃんと見れましたよ」
「実はガイドが登りたくなかっただけかも」
「言いたいことはちゃんとやったほうがいいよ」
「はい、でも初日には友人の家へ連れていってくれてドツォにも入れたし、、」

オオヒラさんはあくまでも優しい物言いである。

「今日の晩御飯はどうでした?」
「友人がやってる日本食に行くというから『日本食はちょっと』と言ったのですが、『いやそこはなんでもあるから』と連れていかれて、、
その帰りにディスコをちょっと覗いたのだけど、まだ人はあまり来てませんでした」

明日は朝ティンプーのツェチュをちょっとだけ見て、それからパロへ行き、タクツァン僧院を見に山登りして、午後4時の便でブータンを離れるという。

強行軍である。

「タクツァンを絶対見る!って主張するんですよ」
とみんなで応援する。





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