Baduy
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学校のある子供たち、学校のない子供たち。
バドゥイの問題は奥が深すぎる。

いよいよインドネシアへの帰還だ。結界の柵を後にして、外界へ向かう路地に出たら、すぐ右手に小学校があった。インドネシアの子供たちが庭で遊び教室で学んでいる。ほんの20メートルくらい先の世界には学校も教育もないのである。なんなのだろう、この光景は。著しく不思議な感覚だ。


ブラウンシュガー
路地の坂道を下っていくと、丸い木の実が積んであった。ひとつひとつ椰子の葉で丸く包んである。これが砂糖の取れる木の実、「ブラウンシュガー」だ。そこは穀物店の店先であった。


黒バドゥイの親子がドリアンを担いで売りに来ていた。母親が店に入って商談中、娘は所在無げに表で待っている。



母の買い物を待つ娘
娘は小学校高学年くらいか。娘のもたれている壁に「2+3=5」という落書きがあった。インドネシアの子供が書いたのか。それともこの娘が書いた落書きか。「学校へ行かない」ということはこの娘にとってどういう意味を持つのだろう。


路地を抜けてロータリーへ出ると、何事もないようなインドネシアの日常だった。例の希望に満ちた銅像の回りに並ぶ店で、若者が談笑していた。

彼らはジーンズを履き、店にはコカコーラが並んでいる。屋根から電柱へ線が走っている。ここには電気がある。文明社会に戻ってきたのだ。




c 1998 Keiichiro Fujiura


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