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柵を開けて細い道を進むと、竹で編んだような家があった。道はその家の屋根の下をくぐっている。つまりバドゥイの村に入るためにはどうしてもその家の中を通らなければならない。 |
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私たちは多少緊張しながらその家に入っていった。ドンさんが声をかけると、頬骨の高い、黒ひげの男が出てきた。なかなかの威丈夫である。目が鋭い。サムライのような表情をしている。 |
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「彼はここの村長。バドゥイの外務大臣の役割も果たしています」 ドンさんは顔なじみらしく、にこにこしながら村長と軽く右手を触れ合わせた。握手ではなく、指をのばしたまま軽く触れるのである。これが挨拶らしい。ドンさんはにこにこしているが村長はじっと私たちを見ている。無口である。 |
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意外なことに、入国記帳ノートがあった。 「文明社会とは没交渉と聞いていたけど、けっこう人が来るのかな」 しかし入国の日付にはかなりの間隔があいていた。3年前からの記録があるが、ざっと見る限り日本人の名前はない。外国人そのものが少ない。ほとんどがインドネシアの名前のようである。 |
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屋根の下をくぐる道の両脇は縁側のようになっていて、通る人はそこに腰掛ける。ちょうどよい休憩所のようになっている。バドゥイの村と外の世界は、ここで接しているのだろう。 |
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この縁側の上に茣蓙を敷いたような居場所を「ソソロ」という。腰掛けている下を風が通って心地よい。 家は木で高床式の骨組みを作り、壁や床を竹で編んだものなので、風通しがよい。家全体が藤の椅子のような具合である。 |
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パマレンタ村長の家の向こうは小さな広場になっていて、数軒の家があった。村長の家をくぐった道は広場を抜けて山に登っていく。 どの家も同じような木と竹で編んだものだが、村長の家は壁に装飾が加えてあったりしていくらか立派のようだ。 |
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広場に面したひとつの家のソソロで少女が機(はた)を織っていた。深い藍色に赤と白の細い格子が入った織物だ。 |
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日本でいえば高校生くらいか。少女、と思ったが、この娘はすでに母親なのであった。バドゥイは早熟短命なのである。男性は17歳、女性は15歳くらいで結婚し、50歳になる前に死んでしまうという。 |
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この娘も機を織った後は赤ん坊を遊ばせていたが、その間にタバコをぷかぷか喫っていた。 「タバコはあるのだなあ」 この娘もバドゥイなのでもちろん控えめなのだが、なにがしか「撮られ慣れている」感じがする。入口村の看板娘という風情だ。 |
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