Chiang Saen
次へ


メコンの川岸で思案した。
ラオスに進むか、チェンライへ戻るか。

昨夜は蚊も出ず、ぐっすり眠る。チェンセンGHは相当評価できるゲストハウスである。同宿の客のモラルも高かった。

朝食を船着き場近くの中華系食堂で取る。野菜、豚肉、飯で50B(150円)。飯は竹筒に入れて固めに蒸した餅米。旨かった。

さて、決めなければならないときが来た。ここからラオスに進むか。チェンライに戻るか。

ラオスの川港ルアンプラバンまで、「スピードボート」ならしぶきを浴びながら一日半。船内にハンモックを吊る幅のある「スローボート」なら三日がかりで着くという。しかし時刻表などはないし途中で泊りが入るから、この行程も定かではない。

問題はその先だ。ルアンプラバンはラオスの北奥地なので主都プノンペンまでは相当の距離だ。ソンクラーンの季節なのでホテル/航空便の予約は満杯と予想される。


私はしばらくメコンの流れと行き交う船を見ていたが、チェンライに戻ることに決めた。思えばこの瞬間からこの旅は「帰り」になったのだと思う。これまでは前へ前へ進んでいたのだが、ここからは東京へ帰る旅になった。

ラオスは次の機会にしよう。

理由はいろいろあるけれど「何も見ても感動しなくなった。この状態でアンコールワットを見るのはもったいない」という思いは、かなり強い原因となったと記憶している。

チェンライへの戻り道。チェンセンの町を少しづつ見ながら行く。

来るときのバスで見た、村の入口の寺へお参りする。石床の古風な大伽藍だ。チェンセンの仏塔は煉瓦造りだが、壊れているものが多い。本尊の前の板間に座り、蝋燭と線香をあげ、鐘を敲く。

博物館に入ると、チェンセンの古い写真があった。コク川にかかる橋の図。水上交通を利用した城塞都市だったことがうかがわれる。ブッダもここに舟で来たのであろうか。



c 1998 Keiichiro Fujiura


TOP PAGE表紙へ
GO MAPマップへ
GO PREVIOUS前へ
GO NEXT次へ