Singapore
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安宿に泊まり、船付場食堂で大食し、
マラッカ海峡にムツゴロウを見る。

インフォメーションセンターで案内を受けてPuriホテルへ行く。観光地らしく、実に整備された案内所である。

ホテルはやや安目のところを頼んだので、はじめは苦力(クーリー)ホテルと言っているのかと思った。苦力とは中華系の低賃金労働者のことで、そういう名の安宿かと思ったのである。シンガポールには実際そういう名前のカフェがあった。

マラッカの古い市街はほとんどの道が細くて、しかも交通量が多い。ホテルまでの道もごく狭いわりにクルマが常に走ってきておちおち歩いていられない。

両側に不思議な建物が並んでいる。基本は中国系なのだが、妙にバタ臭い造りがあったり、中近東風が混じっていたりして、ワクワクするような町並みである。じっくり歩ければ格好の散歩道なのだが、いかんせんクルマが邪魔である。


道路に面した重厚なドア
Puriホテルは狭い路地の途中にあった。

インフォメーションセンターは港の入口あたりにあって、ホテルまではそこから徒歩数分である。奥まったロビーは案外広く、装飾を彫り込んだ螺旋階段があった。値段のわりに落ち着いたホテルである。部屋はACHS。つまりエアコンとホットシャワーはあるがバスタブはない。スタンディングバスである。

一泊68RM(2427円)/二泊めからその半額。NETなので税サービス込みだ。多少の設備の悪さは文句を言えない。


リムジンから降りるときドライバーが「この先に美味い店がある」と言い残して行ったので、それに従ってフェリーの近くの店に昼飯を食べに行く。軒下にビニール貼りのテーブルを並べた半屋台のような店だ。地元の客が来ていた。

大皿を指差して注文する。チキンカレー、うまい。烏賊の炒め物、うまい。豆腐とキャベツのカレー煮。うまい。生水と生氷をがぶがぶ飲む。いいのかなァ。


マレー半島の地図
フェリーというのは、スマトラへの船便だ。つまりマラッカ海峡を渡ってインドネシアとマレーシアの国境を越える船である。フェリーの船着き場は海につながる河口にあった。そこから望むと外海が見える。

「これが有名なマラッカ海峡か」

河に沿って海のほうへ歩いてみる。工業団地を作っているらしく、大きな建設機械が行き来している。猛烈な陽射しである。海辺で日陰もないので頭がぼっとするほどだ。

河口は泥床。干潟になっている。見ると、小さな魚が泥の上をぴこぴこしている。なんだか見たことのある生き物だ。これは、、、ムツゴロウではないか。

私の生まれた熊本の有明湾に生息しているムツゴロウと同じような魚がマラッカの干潟を跳ねている。川辺から見ているので手に取ったわけではないが、その動きはまさしくムツゴロウだ。意外なところで懐かしいものを見た。なんだかへんてこな気分である。

フェリー乗り場の近くにタクシーが何台も止っていた。なぜかベンツばかりである。もちろん中古だが、どこで使われたものだろう。

この街のタクシーにはメーターがない。マレーシアの地方都市のタクシーにはメーターがないようだ。後日クアラルンプールに行ったら、そこのタクシーにはメーターが付いていた。



中国のような西洋のような装飾
フェリー乗り場近くに港博物館と海軍博物館があった。

港博物館は帆船の形をしていてなかなかノスタルジックだが、中身は海軍博物館のほうが面白い。なんといっても現役の海軍である。自衛隊のように曖昧なところがない。方面軍ごとに司令長官の顔写真が飾ってあったりして、まことに士気を鼓舞する展示であった。

見回っていたら「タイタニックのテーマ」がでかい音で流れてきた。この頃映画もまだ上映中で大ヒットしていたとはいえ、この場所に沈没船の歌は似合わない。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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