Singapore
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港の要塞跡地にマラッカの歴史を見る。
往時がぽっかりと残っているような風景だ。


マラッカの洋風建築
翌日はからっと晴れた朝である。早朝から活動をはじめて、シティホールの先にある「フォート」へ行く。フォート(FORT)は要塞、砦と訳されるが、アジアのいろんな港町に痕跡が残っている。港が貿易上重要なだけでなく軍事上も重要だったことを思い出させてくれるものだ。

多くの場合、スペインやイギリスが植民地の占領拠点として築き、後に日本軍がそこに駐留し、独立運動の激戦地になる。フォートには似かよった歴史を持つものが多い。

マラッカのフォートはそのなかでも特に大きな面積で残っている。ある時期まで大きく発展し、その後ぱたりと寂れたこの町の歴史が、この大きな遺産を残したのだろう。

天気がよい日でフォートの向こうの空に入道雲のような白い雲が浮かんでいる。ここのフォートは実に見事で、サルタンの宮殿、独立記念館、シティホール、昔の練兵場址らしきグラウンド、海に向かう石壁、と広大な敷地に堂々とした建物群が残っている。


その展示を見ての受け売りだが、つまりマラッカの盛衰というのは蒸気機関の普及によるものらしい。帆船の時代には風の関係でマラッカに停泊することが非常に重要であったが、蒸気船の発達とともにその停泊が不要になりこの港の価値も下落した、という。


来財
つまり技術革新に取り残されたわけで、いまシンガポールが直面している「地形上の優位性の喪失」も似たようなものだ。横浜、長崎、神戸にしても、昔は港国際都市だったが現在はそうではない。港町とは滅びた産業の痕跡である。

それにしても、この町の発展と衰退は劇的なものだったようだ。「当時」が手付かずにそのまま残っている感じさえする。



c 1998 Keiichiro Fujiura


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