言わせてもらえば
最新にして最悪のBAR。

電通通りのDHというバーが新しい店を出したとハガキをくれたので、のぞきに行った。場所は銀座八丁目コリドー街寄り。悪い場所ではない。

地下一階のその店に入っていくと妙に騒がしい。カウンターだけの小さな店でバーテンダーは男三人なのだから騒がしいわけはないのだが、妙にがちゃがちゃしている。理由は、この三人のバーテンダーに落ち着きがないのである。他には招待客らしい中年男の二人連れで、まずは開店祝の樽酒を呼ばれ、次の飲み物を物色している様子だ。

三人のバーテンダーのうち年嵩の二人はその中年客の相手をしている。バーテンA及びBとしよう。Aは少し先輩格でBはその少し下。もうひとりのバーテンCは最も若年らしく下働きをしている。三人ともカウンターの中で入口に身体を向けているのだが、視線が下を見ているので私がドアを開けてカウンターのところに立つまで、客が入ってきたことに気が付かない。

バーテンBがちゃらちゃらした口調でバーテンAのことを客に持ち上げている。Aはどこどこの店で四年修行してきて酒にはすごく詳しい、という。おかしな物言いに聞こえるのは「どこどこの店」というのがこの店の母体であるDHの名ではないことだ。

「仲間内どうしで誉めあってもしょうがないだろう」と中年客が苦笑してもバーテンBは「いや、自分が詳しくないからちょうどいいと思って」と無神経な返事をしている。なんだか場末のおかまバーで飲んでいるような応対である。

中年客が次に飲む酒としてBはポートワインを推奨している。これはどこどこの業者が持ってきたもので自分はまだ飲んでいないがすごく美味い。どうも、内容も表現も下卑ているように感じられるのは何故だろう。そもそも自分が飲んでいないのにどうして美味いとわかるのだろう。

Aが私の前を通りすぎて目礼したので開店の祝を言う。このバーテンダーがいちばんおっとりしているようだ。Aはカウンターを離れる。奥に休憩室があるらしい。

Cがようやく注文を聞いたのでギムレットを頼む。出てきたカクテルには取り立てて言うことはない。正確に言えば、語るべき何者もない。

中年客が「この店の名は何と言ったっけ」と聞く。バーテンダーBが「MS」です。「どういう意味だい」と聞いてみる。
「えー、俗語です。20年くらい前の俗語で『密造する』という意味です」
「俗語」とは恐れ入るが、意味はそうだ。「まがいものの酒」というニュアンスもあるから、バーの名前としては大胆と言えるかもしれない。

それにしても『密造酒』という単語が英語に生まれるとしたらそれは禁酒法時代のことだろうというくらいの想像力はないのか。20年前だと?ベトナム戦争の最中に密造していたとでもいうのか。
わかった。こいつは「1920年代」と「20年前」を取り違えてしゃべっているのだ。

そこに新しい客が入ってきた。男の一人客。場慣れした雰囲気だ。さすがに客は上質であることが伺える。
「シャンパンはグラスでも出すかい?」
いまや私たち二人を担当することになったバーテンダーCにその客は聞いた。Cはなにやら曖昧な態度で「できる」とも「できない」とも言わず、もじもじしている。自分で判断できない様子だが、おずおずとシャンパンの置いてあるあたりへ向かった。

「では私にもデス・イン・ジ・アフタヌーンを。」Cが私の前を通るとき、私は助け船を出すつもりでそう言った。Death in the Afternoon(午後の死)とはシャンパンにアニス酒をたらしたカクテルだ。一杯のためだけにシャンパンを開けさせるのは可哀想だと思ったのである。
それはヘミングウェイが好んで飲んだと言われ、バーをテーマにした読み物にはしょっちゅう登場する。けして奇を衒ったカクテルではない。シャンパンベースではキールロワイヤル、ミモザと並んで代表的なスタンダードカクテルだ。

が、これが通じなかった。バーテンCは困ったような顔をして控え室のAに相談に行ったがすぐ帰ってきて「存じている者がいないようです」と断り、ケースからごそごそと小さなシャンパン瓶を取り出して一人客へ向かった。

その客はそのやりとりの間「あ、できないならいいんだよ」と言っていたのだが、出されたものを見て「なんだ、ピッコロかよ」と苦笑した。「これは若いバーテンに荷の重い注文をしてしまったか...」と思っていたのに、重くもなんともないのであった。こんなものを出すのに、なぜもじもじするのだ。

ピッコロのシャンパンはこのところ港区のバーやオープンカフェで、ストローで飲むスタイルが女性客に流行っているボトルだ。グラス2杯分の容量で値段も安い。「ピッコロになりますが」と言えばすむのである。妙にもじもじするからこちらも気を回してしまった。
一杯の注文のために高いシャンパンを開けるというのは店の格である。しかしそれは負担でもある。隣の客がそこに斟酌を見せたので、つい反応してしまったのである。

デス・イン・ジ・アフタヌーンのレシピを聞くバーテンダーCに簡単な説明をしたが、恐縮するでも恥じる様子でもない。
いやになってきた。

会計を頼むと小さな紙に数字を書いて持ってきた。2310円。領収書はない。ろくな飲み物は作れないくせにこういうことだけには気が回る。「誰が店長なの?」CはだまってBを指差した。この店でもっとも無駄口の多い男であった。

招待ハガキに書いてあった惹句を引用しておく。おそらくは親店であるDHというバーに出入りしている広告業界人が書いたコピーであろう。

壁の向う側には ゆっくりと
1920年代が流れている。
人知れず密かに飲む酒ほど、
うまいものはない。
8丁目に新しい地下の酒場が
できたけど、めったなヤツには
教えないでくれ。

確かに。これでは、めったなヤツに教えることはできない。



(2000年7月11日)





c 1999 Keiichiro Fujiura

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